2014年06月28日

アジアの医学−ヨガと東洋医学(2)

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 僕が、長野知美女史にヨガを習おうと思い立ったのは、単に身体を伸ばしたりポーズを覚えるといったことからではありません。

 そのようなことは枝葉の末節のさらに末節のことで、ヨガの背景にある思想を身体を通じて実感したかったからです。

 体を柔らかくするためとか、健康のためにというのは、プロセスであって目的ではない。

 さらに良い・悪いのジャッジさえ存在せず、しかも結果には囚われない。

 体が硬くても、体のどこかに違和感を感じていても好いんです、ジャッジしない。


 呼吸と共に、自分の身体を感じて一緒にいる。

 目的といえば、これだけのことです。


 インド発祥の坐禅も同じ。

 効果を期待するのではなく、ただ坐る。

 呼吸に意識を向けながら、自分の心にテロップのように流れるものを、なんのはからいもなくただ見つめる。


 現代人は、結果に期待することでしか行動しない。

 このように考え行動すれば、このような結果が得られると。

 頭を中心にして考え、行動するから、置き去りにして来た自分に気づくこともない。

 だから、漠然とした不安がいつもつきまとうのだ。

 病は、自分の心と身体でありながら、自分に何が起きているのかがわからない不安の結果ともいえる。

 自分の心の感覚。

 自分の身体の感覚。

 ヨガは、身体を使った瞑想だ。

 長野女史にヨガを習うようになって、感じたこと。

 アジアの医学は、心と体の間に、寸分の隙間も無い。


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2014年06月25日

アジアの医学−ヨガと東洋医学(1)

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 今月22日に、京都坊主バーで行われました『ヨガと東洋医学』

 内容を少し公開したいと思います。

 まず最初は、長野知美女史によるインドのアーユルベーダーのお話。

 いつもながら、大変興味深く拝聴しました。

 やはり鍼灸医学の背景にある中国思想とも共通しますね。

 共にやはりアジアの医学、といった感じです。


 どういうところが共通するかと言いますと、自然の風・火・水などの自然現象に象徴される機能・作用を小宇宙である人体を観察する目に用いている点です。

 中国思想では、自然界の上部を天、下部を地。そして天地の間で様々な変化が生じる中部を人(じん)の3部に分け、人体を認識するときにも同じ目で認識します。

 これを『三才思想』と呼びまして、鍼灸医学の根幹を成す思想の一つです。


 これを人体に当てはめると、

横隔膜より上。つまり、胸郭部が天。

 横隔膜からおへそのラインが人(じん)。

 おへそのラインから下が、地に相当します。


 また、人体に現れる様々な作用・機能変化を、自然界の5つの要素、つまり木性・火性・土性・金性・水性の5つの要素にまとめ上げたものが、東洋医学の5臓の概念になるのです。 

 この5要素を用いて、系統的にまとめ上げたのが、臓象学です。


 従って、東洋医学の5臓は、『気』を根幹に据えているので、認識する為の名前と作用・機能はあっても、実在は存在しない概念なのです。


 この当たりが、よく誤解されるところです。

 西洋の解剖学を翻訳する時に、認識概念や哲学概念の異なる東洋医学用語を割り当てた事から始まったのです。

 「神経」は造語ですが、よく考えて造ったものです。

 東洋医学用語に翻訳すると神気の通路(経絡)とでもなりましょうか。

 「精神」は東洋医学用語です。本来の意味は、物質と非物質、気と血の根源的な存在、が本来の意味です。


 当日の参加者の方からは、「肺疾患」と「むくみ」についてリクエストがありました。

 現在でも肺結核の集団感染がありますし、肺がんなどは禁煙運動とは裏腹に増加の勢いは治まりません。

 また、むくみ。とりわけ女性からの訴えを聞くことが多い疾患です。

 なぜなのでしょうか。

 次回から、東洋医学の立場から少しずつ触れて参ります。

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2014年03月01日

五行論は妄説?(4)

 これまで、五行論の相生・相剋関係について、簡単に説明してきました。

 五行論の成り立ちから考えて、五行を機械的・法則的に用いるのは誤りであると僕は考えています。

 もう一度別の例をあげると、木=春、火=夏、土=長夏、金=秋、水=冬と順番に季節と関連づけられています。

 この長夏というのは梅雨に似た湿気の多い季節で、日本では、夏の前にやって来ます。ですのでこれを普遍的な法則としてしては扱えないはずです。

 しかしながら、五臓の概念は五行論から発想されたのは間違いないであろうと推測しているので捨て去る訳にはいかないのです。

 つまりまず、認識すべき対象が在り、その認識の方法として五行が用いられたのではないかと。

 したがって五行論から論をはずして、五行=五つの要素、カテゴリーとしてそもそも用いられたのだとすると、五行の用い方は自ずと決まってきます。五行論の法則性をはずして考えればよいのですから。

 ここから、僕の妄想です。

 五行の成り立ちを想像すると、五つの要素、木・火・土・金・水のイメージと、自然界の気の変化とを先ず重ねたのではないかと思います。

 単に事象の変化ではなく、もっとダイナミックな、立体的な捉え方をしていたのではないか。

 当ブログ内の黄帝内経・素問<四気調神大論>で示していますように、四季=四気のイメージに合うカテゴリーに分類したのだろうと考えます。


 春・木=肝
春上昇



 夏・火=心
夏発散・上昇


 秋・金=肺
秋収斂・下降


 冬・水=腎
冬・蔵・鎮静


 そして四季の移ろう場として大地・土=脾の五つに分類して人体を認識しようとしたのであろう。
 土を各季節の間にある土用をまとめて一季節とする考えも、捨てがたいものがありますが、僕はこれを排します。

 上図をもう一度ご覧ください。これを前後・上下・左右(東西南北・上下)の空間として捉えると、自然界とそれにリンクする人体の気の方向性が見えてきませんでしょうか。

 これを捉える事が出来ると、難解といわれている脈診その他の切診で、人体の気の偏在を、文字通り手に取るように掴むことができます。しかもタイムリーに。

 ちなみに、東洋医学の臓は、身体に現れる現象を五つのカテゴリーにまとめたもので、実態が無く機能だけがあり、臓の図もその機能のイメージに合うように描かれた臓象学が基盤に在るのですね。

 解剖を行って、東洋医学の臓象図とあまりの違いに驚いたという、杉田玄白(1733-1817)らが犯した誤りも、ここに在ります。

 当時、漢方医でありながら臓象学を理解していなかったことが知れます。病気が治せず、オランダ医学に傾倒していったのも無理からぬことか・・・

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2014年02月27日

五行論は妄説?(3)

  今回は、相剋関係を説明致します。

 相克関係は、簡単に述べると、下図のように相互に制約する関係です。

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 木は土を尅し、土は水を尅し、水は火を尅し、火は金を尅す。

 これをイメージにつなげると、木は土から養分を取り上げ、土は水をせき止め、水は火を消し、火は金を熔かし、金は木を切る。

 と、まあこんな感じです。以前、講座の参加者から、何故『金は木を切る』といきなり道具が出てくるのは何故かと、鋭い質問があって、答えられなかったことがあります。

 おそらく、五行のバランス・均衡を考えるとそうならざるを得なかったのでしょう。

 千変万化する自然界、人間の状態を、この相生・相克関係の法則だけで説明しようとすること、そのものに無理があると僕は考えます。

 鍼灸医学の古典に、『難経(なんぎょう)』という素晴らしい著書があるのですが、この六十九難に、『虚する者は其の母を補い、実する者は其の子を瀉す』という記載があります。

 どういうことかと言うと(上図を参照してください)、たとえば『木』を中心に考えると木を育てる「水」が母となり、木から生じる「火」が子になるので、相生関係は、母子関係でもあるのです。

 そして『虚』というのは不足した状態。『実』と言うのは過剰になった状態を指します。

 そして六十九難に随って治療すると、『木』が不足すると母である「水」を補い、『木』が過剰であるなら『火』を弱くするようにしなさいと言ってる訳です。

 この記載を軸に治療をしておられる流派もありますが、僕は六十九難で何故このような法則を出してきたかの根拠がどうしても見出せず、今もその問題は解けていません。

 当然、治療に際して六十九難の説は取り入れていません。法則として、それに見合う結果が得られなかったからです。

 黄帝内経の中でも、五行の相生・相剋関係で説かれているところが幾多ありますが、無理があるところが目につく人は、僕だけじゃないと思います。

 ところが五行と五臓を全否定してしまうと東洋医学は成り立たなくなってしまう。

 そこで五行と五臓がどのような目的で、どのように結びついていったのかを想像してみたいと思います。

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2014年02月23日

五行論は妄説?(2)

 まず、五行論の源を訪ねてみます。

 五行は、四書五経の内の書経(しょきょう)、またの名を尚書(しょうしょ)の中の洪範に初めて見ることができる。

 そこに記されているのは、水→火→木→金→土という順序で一般的に知られている木→火→土→金→水とは異なる。

 当初は、何のことか分かりませんでした。この辺りから、五行論に対してな〜んとなく不信感を感じるようになっていたんです。

 僕は考証学者ではないので、以後の展開の正確さと根拠の裏付けは曖昧ですが、いずれどなたかがされると思います。(もうすでにされてるかも知れませんが・・・)

 書経に記されている、水→火→木→金→土は、混沌とした世の治世を目的として説かれたもので、無形から有形へ。形の無い物から形がしっかりとして、大なるものへの順序として説かれたものである。

 水の形はイメージしにくくても、火の形→木の形→金の形→土の形って次第にイメージしやすくなりますよね。体内に宿った命が赤ん坊として生まれて来るプロセスをイメージしてもらうと分かりやすいかと思います。

 それが後世、易学の先天八卦と後天八卦の考えと、関連付けて考えられるようになったのであろうと思う。

 つまり、水→火→木→金→土は先天であり宇宙創生・人間誕生。形而上学。

 そして一旦形が出来上がったら、木→火→土→金→水で成・長・化・収・蔵と変化していくと、後天八卦の考えと結びついたのだろと考えています。形而下学。

 この木→火→土→金→水は、後の時代に論理的展開の必要性に応じて作りだされたものであることは、間違いないでしょう。

 今伝えられている木性・火性・土性・金性・水性は、この先天の性質と後天の性質が混同されているのではないかと考えています。

 また相生関係、つまり木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じるなどの説は、もっともらしいのですがこれに拘泥してしまうと弊害があると思います。

 もう少し分かりやすく説明すると、木が燃えて火生じ、火が燃えると灰を生じて土となり、土の中から金属が生じ、金属は水滴を生じ、また金属のあるところは水が多く、水は木を養う・・・という循環を説いているのだけれど、どうでしょう?

 下図の通りです。
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 この点については、東洋大学創設者、僧侶でもあり東洋哲学の大家、井上 円了(1858〜1919年)の著した『妖講純正哲学五十九頁』から、読みにくいですがちょっと引用させて頂くことにする。

『五行とは木火土金水にして、その名目は書経の洪範に出ずるとも、これを諸事諸物に配合して、吉凶禍福を判定するに至りたるは、漢以後の事なるべし。』
       ― 中 略 ―
 『その相生の説明を見るに、火生土の下に、火にて物を焼けば、皆灰となりて土に帰す。これ火より土を生ずる理なりとあれども更にその意を得ず。

 例えばここに枯葉ありとするに、これを火に投ずれば灰となり、灰は土となるを以て、火より土を生ずると言わんか。

 然るに枯葉は火に投ぜざるも、そのまま土に埋めて、よく土に化するを得べし、且つ火はたとい枯葉を灰にする力ありとするも、唯変化の媒介をなすのみにして、決して土を生ずる力を有するにあらず。

 或いは火は水を温めて、能くこれを蒸気に変することを得るも、決してこれを土に変する能わず。或いは又火は金を爍(と)かすことを得るも、金はやはり金にして、火の為に土となるにあらず。果たして然らば火生土の理未だ知るべからず。』

 とまあ、口を極めて五行は迷信であると主張されてる訳ですが、これもまた僕としては迷信としてバッサリ切り捨てることが出来ないのです。

 五行論は、それをどのように扱うのか。そこが最も重要なところだと思います。

 次回、相剋関係を説明致します。

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2014年02月22日

五行論は妄説?(1)

 僕の場合、東洋医学の入り口は『黄帝内経』だったのですが、この書物の背景となる思想背景のひとつに、陰陽五行学説がある。

 実は初学の頃からずっと抱いてきた疑問のひとつに、五行学説への不信感があった。

 ここ数年、やっとその疑問が解けてきたので、開示したいと思います。

 そもそも陰陽五行論は、一緒に述べられているが、元は陰陽論と五行論は別々のものであったようだ。

 それが、中国の春秋戦国時代(紀元前770〜400年)に結び付けられ、前漢(紀元前紀元前206年 - 8年)頃に著された『黄帝内経』では、陰陽五行論として理論運用されている。

 実際の臨床において、陰陽論は必須の無くてはならないものとの認識は実感するものの、五行論に至っては誤りであるとの結論に達した。

 ところが、五行論を全部否定してしまうと、『黄帝内経』の世界観そのものが危うくなってしまうという問題点が生じて来る。

 つじつまの合うところはこれを取り上げ、つじつまの合わないところはこれを捨てるという考え方がある。

 ではその判断の基準をどこに置けば良いのか。さらにこのような考え方では、何にでも勝手な理由づけに用いられる危険性もある。要は、こじつけし放題になると言うことである。

 拠り所とするには頼りない、全否定すれば東洋医学が成り立たない。ちょっとしたジレンマですね。

 おそらく、『黄帝内経』を現わした複数の歴代の著者は、五行論を用いて表現し、伝えたかった意図は他に在るのではないかと想像している。

 そして自分なりに達した結論は、五行論は五種類の性質に分かれた『フォルダー』であると考えれば、矛盾なく有用的に運用できるが、それ以外の、相生・相剋関係は、すべてこれを誤りとする考えである。

 次回からは、五行論の源流を視てみたい。

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2013年10月12日

毒だから効く

 漢方は、生薬を使っているので身体にやさしい。


 長く服用して、じんわりと効く。


 鍼も漢方も、そんなぬるいもんじゃない。

 毒だからこそ、強く激しい作用を起こすのだ。

 生姜やナツメなどの食品に使われているものはどうなのか?

 身の肥やしにはなる。


 それを、毒になるように組み合わせたのが、漢方=湯液の処方なのだ。

 東洋医学は、死に瀕した人々を、救ってきた歴史と実績がある。

 ただ、本当の継承者が少ないだけだ。

 本来の東洋医学と、かけ離れた情報がひとり歩きしている状況は、誠に残念。

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2013年10月09日

鍼はなぜ効くか

 鍼はなぜ効くか。

 人体にとって、有害だからだ。

 先端が鋭いものは、本能的に害するもの、との生物的な感覚があるからだ。


 鍼は怖い。


 そう、世間の認識は正しい。


 怖いから効く。



 それを応用したのが鍼術。


 こう書いても、誤解は怖れない。


 それが真実だ。



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2013年01月10日

霊とは

 おばけの話ではありません。

 われわれ鍼灸師の依って立つ古典のひとつに「黄帝内経 霊枢(こうていだいけい れいすう)」という書物があります。

 学生の頃、霊枢ってとっても怪しいことが書いてあるんじゃないの?って思ったことがあります。

 その当時の疑問を何年もそのままにしていたのですが、なるほどと思ったので開示します。

 霊は靈と現わされていました。

 靈は雨・口口口・巫の三つの組み合わせで成っています。


 あめかんむりは、天から降りて来るご宣託。

 下に3つある口は、祝詞を入れる器を。

 そして巫(ふ=みこ)ですね。

 これで、巫女さんが、天からのご宣託を受けるという意味になるのだそうです。

 「霊枢」の枢は、木と区で出来ていて、「区」は、祈りの器を置いて祈る隠された場所を現わしていて、その入り口の扉の回転軸を枢と言うのだそうです。扉の動きを主るので、「かなめ・もと」の意味になります。

 どうでしょう、でもやはり怪しい・・・

古代は、儀礼・儀式を中心とした生活だったのでこのような意味になりますが、これをもう少し意釈すると、

 このあめかんむりは、確かに天を意味するのですが、これを神代の時代の先祖から累々と蓄積してきた経験と知識であると解釈できます。つまりご先祖様ということです。


 したがって「霊枢」という文字・書物は、時代も分からないくらい古くからのご先祖様から伝わってきた医療技術の最も大切なところ、という意味になります。



 僕はこれですっきり^^


 皆さま、いかがでしたでしょうか。

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2013年01月04日

漢字に込められている意味

 年末に、文字とアイデンティティー(自分は何者であるのかという問い)について書きましたが、今回も引き続き文字のもつ意味について思うところを書きます。

 ひらがなの原型は漢字にあるのはみなさん御承知のとおりで、漢字本来の意味が解明されたのが、1899年に甲骨文字が発見されたことによります。

続いて伝説の古代国家と思われていた殷・周時代の青銅器の銘文が大量に発見されたことにより、飛躍的に漢字のもつ意味が広がったと言われています。

紀元100年ごろ後漢時代に許慎(きょしん)によって著わされた「説文解字」も、長く文字学の聖典とされてきましたが、それらの発見により若干その地位を失ったように思う。



 『常用字解 白川 静 著 平凡社』(この辞書、面白いですよ)で漢字の構成などを紐解くと、その時代の社会的儀礼や加入儀礼の様子が象形されていることが分かります。


ですから当時の生活や考え方などが、どのようなことを中心に営まれていたのかが、なんとなく理解できるのです。

有史以前から、累々と受け継いでいる命は、時代によって変化しつつ先祖の思想・哲学、生活様式などと一緒に継承されてきたんですよね。


いってみれば、普段取り立てて信仰していない人でも、お正月になれば神社に初詣にお参りし、お盆には先祖を偲んでお墓参りをするなどということにも、それは現れていると思うのです。



 

同様に、私たちが日常使っている漢字を含む文字・言葉も遺伝子と同じように変化しつつ今現在にまで受け継がれているということです。


 

そして累々とした先人たちの進化の頂点に今あるのが私たち自身であり、今の文化であると言えます。私たちは過去と切り離されて現在に存在しているのではないということを実感します。


横文字が多い時代だからこそ、漢字を中心とした文字と言葉の文化は大切にしたいものです。

 
 
 

 院内の勉強会でも、まず漢文はもとより江戸期の日本の古文書から入るには、それなりのしっかりとした根拠があってのことです。


 それは親や先祖を想い、大切にすることにもつながるし、自分のよって立つアイデンティティー(自分は何者であるのかという問い)の根源を盤石にすることにもつながる、とても重要で大切なことだと思う。

 伝統・文化は、時代のよって変化しますが、根を失ったものは今良くってもいつか消滅し、根がしっかりとしたものは変化の波にもまれながらも脈々と受け継がれ、常に新しい花を咲かせると思うからです。

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2012年12月30日

文字とアイデンティティー

 宮崎駿監督による「千と千尋の神隠し」という映画の中に白竜が自分の名前を思い出すと同時に、自分が何者であったのかがよみがえるシーンがありましたよね。

 自分が何者であるかということと、文字によって付与された名前が一体となっている例であります。いわば文字による名前と全ての人格が同体であることを見事に表現していると感じたわけです。


 文字を失ってしまうと、自分が何者であるのか(アイデンティティー)を失ってしまう。


  私たちが使用している文字は、漢字をその低弦としている。漢字を忘れるということは、この国の人間としてもっとも大切な文化的基礎を失うことにつながるのではないか。そんな危惧をいだいてしまいます。


 このことは、特に民族医学としての東洋医学においては由々しきことで、主に漢文を主体として書かれた文献を伝統医学を学んでいる人は、は聖典として学んでいます。



 漢字は、表音文字と異なって象形文字であるという性格上、漢字の基になっている形象がそのまま潜在意識に入って来ます。潜在意識は、論理性をはぎ取って感性だけが蓄えられる性質があるからです。



 その国の文化を理解するには、語学がもっと早くて深いと主張する人がおられるが、妥当な意見だと思う。


  なぜなら、言葉にはその文化的地域にしか通用しないニュアンスがあるからです。その国の言葉を操ることは、その言語を使用している人たちの伝統的思想や生活習慣などを言葉を通じて理解するということであるからです。


  伝統医学を志す者にとって漢文は、必須とするゆえんである。



 ちょっとかたいお話になってしまいましたが、漢字を含む文字と言葉は大切にしたいですよね。

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2012年07月02日

修養

 いよいよ7月ですね。昨日の1日、いおりメンバーで高野山で修養体験をしてきました。

 橋本で急行電車から各駅停車に乗り換え、ゆっくりと旅路を楽しみながらケーブルカーに乗り換えて、さらにバスに揺られてやっと到着。

 かつてこの町で開業しながら、大阪・奈良まで勉強に来ていた今は亡き友人のことが思い出された。

 時間に余裕があったので、奥の院をゆっくり回り昼食をはさんで修養講座の行われる大師教会へ。

 ゆっくりと歩いてる自分にふと気がついて、普段どこかイソイソと歩いているなと。日常をちょっと離れただけで、自分の日常生活の心持が浮かび上がることがあります。


 いおりメンバーは、月一回のいおり塾での学習と、月二回の座禅が必修です。

 今回は、阿字観を体験することが主な目的で、声を出したりイメージしながらの瞑想も、新鮮な体験ではあったけれど、やはり只座って自分の心の動きをじっと観察する禅宗がしっくりくるように思えた。

 一番若い三谷君(最近はいおり王子と呼ばれているらしい)は、阿字観の方が座りやすいと言っていたが、本格的にやるとなると、阿字観も相当難しい修養だなとも感じた。


 東洋医学は、主観の医学といっても差し支えない。ただ、主観を中心として若干の客観性と理論を持たせたもの。これが東洋医学だと認識しています。若干の・・・といっても主観的世界の無限性に比べてのことで、相当程度の学習はやはり必要です。

 ちなみに漢文は必須。学校で教えてて想うのですが、みなさん漢字に弱い。これは致命的ですよ。


 主観が中心である医学ならば、自分の「在り様」という、とらえどころのないものがとても大切になるわけです。

 五感を通じて自分の中に入ってきたものが、自分の心の鏡にどのように映るのか。歪んでいないか(不邪見)いつもしっかりと心の鏡を磨いておくことが必要です。

 また学習の理論的根拠は、古典に求めます。

 文字で現せること。文字で現すことができない事を、何とか文字で伝えようとして書き残された古典。詩も同じですね。

 禅宗では、教下別伝、不立文字と表現するようですが、言外の感覚を体験する(主観)ということが体得するということになるわけです。

 
 今回、竹下くんが学校の実習で参加できなかったのですが、それぞれがしっくりくる方法で修養に努めてもらえたらと願ってます。
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2011年12月05日

陰陽について(1)

 一般の方にも分かりやすい東洋医学に関する書籍が多数出回っていることは、まことに喜ばしいことです。

 東洋医学は、易学と道教がベースとなっているのですが、専門家であっても意外と理解されていないのが「陰陽論」。

 食養家を名乗る人たちは、食べ物をすべて陰性・陽性に分けて「これは陰性で冷やすからダメ」だとか「陽性で温めるから良い」などと説いていますが、東洋医学的にはほとんど間違っています。

 陰とか陽といった用語を使うと、いかにも東洋医学的な香りがしますが全く別物ですね。

 下図を見てください。

 
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 たとえば天=上=陽、地=下=陰と分けるように、木の地上部分は陽、根の部分は陰と認識することができます。

 ここで注目して欲しいのが、この場合の「陰陽」は、上下の位置関係について認識したものです。


 ところが今度は陰陽の平衡、つまりバランスを取ろうとする働きに着目して認識するとどうなるでしょう。


 地上部分は上に伸びようとする=陽を志向するので陰。
 根の部分は下に伸びようとする=陰を志向するので陽。 となるのです。

 つまり地上部分は陰性であるから陽性(太陽)を求めて伸び、根の部分は陽性であるから陰性(地)を求めて伸びると認識します。

 陰陽の表現は逆転しますよね。

 こうなると陰だから陽だからと固定的に考えて論じること自体が誤りであることになります。
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