2014年06月19日

病気は、責任回避

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 日常の臨床現場では、飲食の制限をすることが多々あります。

 時に、しばらく甘い物をやめる理由と必要性について理解を求めると、中には、『体が欲する』とおっしゃる方がいる。

これは大きな錯覚・錯誤である。

『心が欲している』のである。

身体の『五感』から伝えられた情報より、

心はまず、身体に入れて安全か危険かを判断して行動するからである。

身体の『五感』を、東洋医学では魄気という。

 
 
 それはさておき、甘い物は、心に緊張や葛藤が積み重なった時に欲するようになる。

 甘い物好きという方は、無自覚であっても緊張や葛藤を抱えている人に多い。


 問題の焦点は、甘い物をやめることにあるのではなく、自分の心に存在する緊張・葛藤を先ず自覚することにある。

 ほとんどの場合、この緊張・葛藤には、感情が絡んでいる。

 このようなお話をすると、すぐに自覚できる人と、自覚できない人がいる。

 自分の本当の気持ちや思いが、鬱積した感情に隠れて、自分で自分のことが分からなくなってしまっている人が、あまりにも多い。

 現代人は、感覚よりも思考が優先している人が多いからだ。

 これを七情内欝の病とも、七情の病とも称し、これもまた紀元前から東洋医学の認識範疇に存在している病因です。


 表面的には穏やかな顔をしていても、その裏にある鬱積したものに気づかないでいると、必ず身体の不調となって様々な病を生じる。

 癌やアレルギー疾患などは、その最たるものだ。

 この世から、タバコをなくしたとしても、現在急増している肺癌患者は決して減ることは無い。

 問題の本質が、そこには無いからだ。


 自分の本当の気持ちや思いに気づいた時、人は選択の決断を迫られます。


 生きて行くことは、自分の責任で様々な選択をしていくことです。

病気とは、選択の決断を回避している一面も持ち合わせています。

周囲がどのようであろうとも、選択の理由と意図の結果は、自分が責任を負う。

たとえ病になったとしても、自分が納得する生き方をするためです。

病気しないために、生きているのでは無いのですから。

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2014年06月11日

問題の焦点

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このところ、相変わらず気分障害を伴って、眠れないと訴える人、多いです。

 眠れないので、体がだるく仕事にも意欲が持てず、精神的に追いつめられると訴える。

 心療内科で処方された睡眠導入剤も全く効かず、この度てんかん薬を処方されたが、

これも全く効果が無いとも訴える。

 眠れないのが問題の焦点では無い。

 眠れなくなる以前に、涙も出ないほど精神的に追いつめられた過去の出来事があった。

 その時に自分の中に生じた感情。この感情が解放されず、

心のしこりとなって体内に蓄積されていることが問題の焦点なのだ。


 感情には、意図が必ず存在する。


感情という「気」が鬱積して限度を超えると、自分の意図。つまり本当の気持ちさえ分からなくなる。

 1本の鍼は、この鬱積してパンパンになっている河川の堤防の堰を切るような働きをする。

 そして段々と泣いたり怒ったりできるようになってくる。

すると心に余裕ができ過去の出来事を過去のこととして終わらせることができるようになってくるのだ。


 精神薬では、決してこのように根本的な問題解決はしない。


むしろ、このような自然なプロセスを妨げる。


 鍼と精神薬は、働きが正反対である。


 心に葛藤があると、手首の脈の打ち方は一般的には、硬くなる。

 しかし、てんかん薬を服用した方の脈は、葛藤があるにもかかわらず、

むしろ不自然に軟らかく弱くなる。


 感情は、生きている証ともいえるエネルギッシュな「気」である。

 精神薬は、見事なまでにこれを体内深くに押し込める。


 眠れないことによって生じる様々な苦痛は、過去の出来事に対する苦痛なのだ。

 眠れない苦痛を問題にするのではなく、過去の出来事が自分の中で未解決なことが苦痛なのである。


 問題の焦点を、見誤ってはいけない。


 何度も同じことを書きますが、精神薬ではこのような問題は解決しません。


 さらに、精神薬で抑え込むことに成功してしまうと、出口の無い投薬が際限なく続く。

 そして、意を決して、精神薬を徐々に減らしたい意向を伝えると、

「悪化しますよ」と脅しのような言葉をかける医師の存在を、

臨床現場で耳にする機会が非常に多い。


患者側からしてみれば、出口を探しながらも、ただでさえ不安で混乱している状態に、

さらに追い打ちをかけられることになる。

 実際、服薬を急に中止すると、体内にこもっていた感情の「気」が、

一気に出口を求めて噴出するので、様々な症状が強く現れる。

 この事実からしても、精神薬がみかけだけの対処療法で、
本来的な問題解決には繋がらないことが分かる。

むしろ抜き差しならない状況に追い込まれる。


 服薬を中止すると、一気に症状が悪化するステロイド剤と、とてもよく似ている。


 心身の症状は、大変つらいのはよくわかります。

 問題の焦点。

問題の履き違えを起こさないように、よくご自身と向き合ってください。


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2014年06月07日

魂(こん)の働き

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 『相』という漢字の語源を調べていて、今更ながら再確認したこと。


 『相』は、木を目で「みる」の意味。盛んにおい茂った木の姿を見ることは、樹木の盛んな生命力を、それを見る者に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので、「たすける」の意味となる。

 たすけるというのは、樹木の生命力と人の生命力との間に、関係が生まれたことであるから、「たがいにする、たがいに、あい」の意味になる。

 見ることは、人の生命力を盛んにするという、魂振(たまふ)りの力があると考えられたのである。

                                            <常用字解 白川静>



 なにも見るに限ったことではない。臭いや音、肌の感覚すべては、意識だけでなく無意識領域にまで影響が及び、身体にも現れる。

 それは、好い臭いを嗅ぐと、勝手にツバキが出てお腹が鳴るという現象などに、如実に現れている。



 東洋医学では、『魄(はく)』を通じて、『魂(こん)』に影響したと認識する。


 魂振(たまふ)りの力というのは、おそらく無意識領域の力を言うのだろう。


 五感を通じて心身に大きな影響を与えるのだから、これを上手に使わない手はない。


 樹木に限らず、海・川・山、花や美しいと感じる美術品にたくさん触れるのが好い。



 僕は元々、田舎育ちのせいであるからかもしれないが、自然に触れると生き返ったかのような感じがする。


 自然と言っても、世間の話題になっているところが好いとは限らない。


 むしろたくさんの人が訪れる人気の場所は、大抵人の気で汚れていることが多い。

 しかも自然といっても、悪気の集まっているところもあるので、どこまで行っても自分の感性を信じて、自分が気持ち良いと感じるところを見つけるのがベストです。


 日常においては、身の回りは小奇麗にして、壊れたものや傷んだもの、汚れたものを周囲におかないことも、大切なことです。



 日常には、慣れということがあるので、不快を不快と感じなくさせてしまう。

 これは、意外と曲者です。

 マンネリというのは、惰性以外のなにものでもありません。



 またテレビは、特に影響が強いので、家事をしながらなんとなくスイッチを入れておくのは、止めた方が宜しいです。

 さらにテレビは、広告媒体という認識が絶対的に必要です。僕はほとんど見ません。



 また悲惨な事件のニュース映像や写真などは、できるだけ触れない方が好い。

 これは、意識している以上に影響を受けます。


 そのような悲惨なものに触れた時、自分の呼吸や身体の感覚がどのようになっているか、観察してみてください。

 心身の中枢は、この無意識によって維持されています。


 身近なところでは、暑ければ毛穴を開いて汗を出し、寒ければ毛穴を閉じて身を守る、自動的な働きなどがそれである。


 たとえ一瞬でも、「怖い」と感じれば、無意識に息を止めたり殺したりし、脈の打ち方や体の表面の緊張として表現するのが、身体というものです。


 我々の医学の術を以て身体を診れば、無意識の状態までとらえることができます。


 臨床現場でも、「こんなこと、なかったですか?」と聞いて、しばらくしてやっとご本人が気づくことが多々あります。

 現代人は、自分の身体感覚がとてつもなく鈍っています。


 そんなことにかまっておれないほど、仕事や日常生活、そしてスマホやパソコン、テレビなどの情報に忙しく接しているからだと考えています。


気が、外にばかり向いている。


 病気になることで利益がある人は除いて、一般的には誰しもが、望まない病になってしまうのは、身体感覚を失ったことが大きい。


 それにに加えて、

 どのような状況に身を置いているのか、

 どのようなものに触れているのか、

 これらののことに、無頓着であるからだともいえる。



 現代病は、これら心の在り様、無意識の在り様に起因して発症する病が多い。


 時間に追われている現代人こそ、1日の内に呼吸法や瞑想法などを行う時間を持ちたいものです。


 自分自身と向き合い、「こころ」と「からだ」の感覚を取り戻す。


 ほんと、大切なことです。

 日常の診療の中で、そんなことを強く感じます。


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2014年06月05日

問題の根は、どこにあるのか

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眠れない・・・病院に行くと、睡眠薬がいとも簡単に処方される。

眠れないのが問題の焦点ではなく、眠れないほど混乱して、何が自分の心身にとって問題な

のかが、本当の問題なのだ。


 それを放置して、ただ眠ることが出来たらそれで良いと考えるから、解決すべき自分の問

題は先送りにされ、何もかもが深刻化していく。


 不安であるとか、イライラするとか、気分か落ち込むなどの気分障害は、

生きている限り、避けて通れないこと。


 問題に直面すれば、当然辛いからこそ悩みに悩んで、一時的に体調を崩してでも、必死に

なって問題解決の出口を探そうとするのじゃないですか。


 辛いのは、身体の痛みと同じ。


ある意味、正常であるからこそ感じる心身の働きです。


 これを安易に薬で解決しようとするから、自分自身も、自分を取り巻く環境も状況も、

一つ変わらず、むしろ深刻に悪化していくのだ。


 病巣を放置して、鎮痛剤を飲み続けるようなものだ。


 病名をつけられ、患者になってしまった本人の状況は、完全に固定される。


服用を続ける以外に、道は無くなるのである。


 服用していると、何とか日常生活は送れる。良くなりはしないが、悪くもならない・・・

れは、完全に錯覚です。


 意識の水面下では、確実に心身共に悪化します。


 我々の目と手の感覚は、はっきりとそれを捉えることができる。


 心がなんとなくモヤモヤするといった場合、

そんな不快な感覚から逃げようとするのではない。

むしろしっかりと感じ続けることで、モヤモヤの根っこになっている、

自分の意図に気づくことが出来るのである。


 気づくことから、問題解決への道が広がり、自分の足で歩いていくことが出来るのだ。


 ストレス発散などと言って、安易に飲食や娯楽に興じるのも、

逃避以外のなにものでもない。


 厳しいことを言うようですが、自分が自分と向き合わないで、

いったい誰があなたを理解し、問題を解決してくれるというのでしょう。


 ちなみに、百会や神門というツボが、不眠や精神の安定に効くなんて謳ってる、鍼灸師や

健康雑誌は、信用しないでください。


不眠に効くツボ、精神の安定に、腰痛に、肩こりに効く、健康維持のための・・・、

ツボの効用なんて、そのようなものは存在しません。でたらめです。


身体に触れるだけで、不眠や精神の不安定の背景まで読み取れる技量を備え、

問題の本質に目が届いてこそ、東洋医学であり、鍼灸医学です。


食生活や生活習慣・心の習慣を変えないで、自分でどんなツボにお灸したとしても、

そんなものが効果を現すはずがないのです。


そんな安易なものには、手を出さないでください。むしろ健康を害します。


 ところでみなさん、抗うつ剤の売り上げの増加と、

自殺者の急増の時期が一致しているのをご存知でしょうか。


 1997年から1998年の1年間に、自殺者が1万人も急増しています。

ちょうど1997年から今に至るまで、製薬会社の精神薬が顕著に伸び、今も増え続けています。




 薬理的に自殺に追いやられるのか、それとも意識の水面下が自殺に追いやるのかは、

わかりません。


 ただ、私が日常の臨床現場で感じることは、服用を続けていて、

なんとか生活はできているが、にっちもさっちにもいかなくなって、

追い詰められている人が多い。


しかも恐ろしいことに、自分が追い詰められている自覚に乏しい。


 これね、婦人科などで出されるホルモン剤も、同じですよ。

 更年期障害なんて、患者の目を塞ぐための病名ですよ。

 女を楽しんで(女性としてじゃ、ないですよ)生きて来たかどうかが、

深くかかわるのです。


50歳近くになると、更年期障害になるのではないかと、予期不安に駆られるのは、

医療が作り出した幻想です。


幻にみんな、おびえているのですよ。


 婦人科疾患については、いずれ書きます


 たくさん書いて来ましたが、精神薬には安易に手を出さない。


 精神科や心療内科で出される薬によっては、気分障害は治癒しない。

 
 一度服用しはじめると、なかなか離脱できない。


 麻薬は、心身ともに滅び社会悪だと誰もが認識しているが、


精神薬は治療という名の下で行われるので、危機感を持ちにくい。


 これらの点を、よく認識して頂けたらと思います。


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2014年06月04日

大らかに

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 先日、学校の授業で、大抵の病気に共通して見られる『気滞』について講義したのですが、

その一部をお話ししたいと思います。


 人によって、何が『気滞』なってしまうのかは、難しい問題なのですが、

現代人の観念になってしまっている『性』に対するタブーが、

『気滞』を起こすひとつの大きな原因になっていることを話した。


 『性』がタブーであるから、『性』は商品として売ることができるのである。


 『性』タブーになってしまったのは、いつからなのだろうと想像してみるが、

おそらく権力に伴う、駆け引き・損得が生じた頃からだろうと思う。


 貴族や武士階級が現れた頃に、婚姻が政治的に利用されてきたことは、

皆様ご存知のことだと思います。


 権力者とその子供との関係は、絶対的に確実なものでなければならない必然性が、

ここに生じたのであろうと思う。


 そして、『性』は、このような立場の人から次第に大らかさが失われ、

『性』は、道具や手段として、管理されるものになっていったのである。


 管理された『性』は、『気滞』を生じる。


この『気滞』が、妊娠を妨げ、「お世継ぎ」の必要性から側室が生まれたのである。


 一方農漁村においては、『よばい』という風習が明治初期まで全国的に存在した。


 農漁村の共同体の中での男女は、複数の相手と関係を持つことが堂々と行われていたようであった。

ただし、地方によって、その掟は異なっていたようであるが。


複数の男性と関係を持った女性が妊娠した場合、父親が誰であるかを決める権利は、

女性側にあったと言う。


男性は、それを拒むことが出来ないというのが、半ば当然の了解であった。


 生まれた子供は、村という共同体の中で育てられるので、さほど問題は無かったようである。



 翻って、現代人の我々の感覚から見れば、なんと淫乱でルーズなことかと思われるが、

我々の住む社会の現状を見ると、歪みに歪み切った性犯罪は深刻化し

、電車の中での痴漢行為は日常化し、裸体は書店やネットで簡単に手に入るご時世である。


 どちらが淫乱、ルーズであるか。


本来、人間としての自然な営みが、商品として売り買いされる現代

異常さと深刻度は、むしろ現代にあるのではないかと思える。


 このような世相にあって何事も、法的に抑え込もうと厳罰化の流れにあるが、

人間の本能の、底知れぬ強さを知らなさすぎる。


 抑え込めば抑え込むほど、歪みは大きくなって、

とんでもなく大きな力が衝動的に人を動かしてしまうのである。


 『性』が商品として全国的に拡がったのは、

法的に『よばい』風習を禁じる流れが広がった、明治からだと言われている。


 ここでは、『性』を取り上げて書いているが、『感情』も同様のことが言える。


 現代人は、大人も子供も表面的にはきれいになった。

 声や感情を荒げて、人と人とがぶつかり合うようなことも無くなった。


 争うことなく、おとなしくゲームの順番を待つ、お利口さんな子供も多いと聞く。

 だからと言って、感情が無くなったのではない。


 深くその人の無意識領域に『気滞』となって蓄積され、

癌やアレルギー疾患をはじめとする様々な肉体的病気や精神病、

ひいては深刻で凶悪な犯罪などを生み出しているのだ。


 このような状況に対して、どのような処方箋が有効であるのか。


 なかなか簡単ではないが・・・


 各人が、大らかさを取り戻すこと。


 小さくても、こういった自分の足元から始めるのが好い。


 僕の師匠は、『天才バカボンのパパ』 なのだ。


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2014年06月03日

未病を治す

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人は、五感を通じて環境から、様々な影響を受けます。

 心の快・不快の変化に気がつく人は多いのですが、身体の変化に気づく人は非常に少ない。

 現代医学の影響か、心と身体は、すっかり切り離されてしまっています。

 今に始まったことではないのですが、自分の身体に起きていることが一体何なのか分からない。

 その最たる状態が、病気です。

 みなさま、精神的なことで体調不良や重篤な病気が起きることを、少々軽く考えておられる。

 それは『気のせい』という言葉にも表れている。


   患者「肩が痛くて上がらないんです。」

   治療者「最近、身の回りで変わったことがありませんでしたか?」・・・

        「精神的にイライラすることが続いたことが、原因ですね」

   患者「それって、気のせい?ってことですか」

 といった具合。



 東洋医学の『心身一如』の視点から見れば、

あらゆる病気は、心の状態と切り離して観ることは出来ない。


 我々の仕事は、病苦を取り去るというだけに納まりません。

 身体からのメッセージを読み取り、患者に伝えるという大切な役割があります。


 それはとりもなおさず、本来一体であった、自分の心と体の関係を取り戻すことでもあります。


病気は、不幸な面だけではありません。

 病気や不調の状態から、人生を豊かに生きるメッセージを汲み出すことが可能です。


 自分で自分のことを知る。

 なかなか難しいことではありますが、健康に生きたいと願うのでしたら、

避けて通ることは出来ないのです。


 東洋医学の未病治の考え、つまり未だ病にならざるを治すとは、このようなことを言うのです。


 病んでいる臓器を取り去ればよい・・・

 癌は切り取ってしまえばよい・・・

 やむを得ないときもありますが、取り去って『良し』とする。


 それだけで、本当に良いのでしょうか。

切り取ってなお、不安な毎日を送っておられる方、たくさんおられますよ。

病の本質が、自分の視野でとらえられていないからです。


よくお考えくだされば、幸いです。


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2014年02月18日

何を信じて生きますか

 先日の難病完治の、後日談です。

 僕には根拠があって、難病指定の疾患の完治を告げたのですが、現代医学的には根拠がない。

 それでも、完治と判断しました。その時の母親とのやり取りです。

 母親:「先生、大学病院では引き続き経過観察のため、受診して下さいと言われているのですが、どうすればいいでしょう。」

 僕:「お母さん、あなたは何を見て子供の様子を判断しますか?」

 母親:「はい、今まで散々数字に囚われてきましたが、子供のご飯の食べ方、機嫌や振る舞いを大切にしたいと思います。」

 僕:「そう思われるのでしたら、今まで検査結果の数字を見てきて、お母さんの心の状態とお子さんの体調はどうでしたか?」

 母親:「やっぱり定期検査は受けないで、このまま、親の目で子供の様子を見ることにします。」

 皆さま、よ〜く分かって下さい。

 何を信じて生きるのか。

 自分の身体で、心で実感したもの。

 これですよっ!

 検査はね、人の心を病気に向けるんです。

 人は、心の向いた方向に行くんです。

 病気の原因が免疫? 

 そんな手の届かないところにあると思うから、不安になるし、医療の奴隷になるんですよ。

 病気はね、みなさんの毎日の心の状態や食べ物などの過ごし方にあるんですよ。

 みなさん、不幸にも病気になってしまったら、逆にチャンスと思って、よ〜くご自身の心の状態と飲食など生活を振り返って下さい。

 たくさんの幸せの種が、埋まってますよ。

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2014年02月13日

病を見る視点

 今日、難病指定疾患の方が完治された。
 あらかじめお断りしておきますが、病名を挙げて、鍼灸でこんなことが出来るのだと言いたいのではありません。

 僕が伝えたいことは、病気には必ず背景があると言うこと。症状を治めることも大事ですが、症状にばかりに捕らわれないことです。
 そして何故難病になってしまうのかを知ってもらいたい、そして問題解決の糸口を見つける切掛けにして欲しいということです。

 患者さんのプライバシーに配慮して、西洋医学的な疾患名および本人と特定できるような内容は一切記していません。

 患者さんから感謝の手紙やメールは、今までに何通も頂戴していますが、敢えて僕個人に宛てて送って下さった気持ちを慮ると、そういったものに対して患者さんにお願いして公開するという感性は、あいにく僕にはありません。ですので、この話の虚実は読者の方々にお任せ致します。

 西洋医学的には難病でも、東洋医学の目からは、意外と簡単に出口が見つかることは少なくありません。もちろん、東洋医学的にも難しい疾患はありますが。

 患者は昨年の春、大学病院で難病指定の疾患であることを告げられた。
 出口の無い辛い対症療法の中、かつて当院に通院していた母親が、ワラをも掴む気持ちで子供さんを連れて来られたのは、約一年前のことでした。

 病院での投薬を続けながら当院へ通い、順調な経過をたどっていたが、それでも症状の起伏はあった。

 症状の起伏は、起伏を起こしている背景を探り原因をつきとめて、本人や家族に自覚を促す絶好のチャンスになることが多い。

 特に悪化した場合、とかく症状にばかりに目が囚われて不安が募るのだが、普段と異なった環境の変化や出来ごと、それに伴う本人の心理的変化と症状を自覚するチャンスでもあるからだ。

 たとえば、こんなことがあった。ある特定のものを少し口にしただけで、症状が起きていた。それがある日を境に、友達と外食した時は、同じ物を食べても、不思議と症状が起きない。だれと、どこで、どんな気持ちで食べているのかが如実に表れていたのだ。

 経過の中で、決定的な出来事は、止まらない下痢が主症状であるにも関わらず、排便に苦しみ肛門が出血するような便秘症状が現れた時に、大学病院で処方された薬が下剤であったことである。

下痢が止まらない疾患に対して、如何に便秘とはいえ下剤?

 不審に感じた母親は、大学病院受診後のその足で子供さんを伴って来院。

 連れられて来た本人の身体を診ると、明らかに情動の抑鬱があった。

 背景が見えているので、本人と母親を交えて起きている症状と身の回りに起きたこととの関連性を説明し、それに対してどのような鍼治療を施したかを説明。

 下剤を飲むと一気に生気が抜けて悪化するので服用しないように。さらに明日には、よくなることを伝えてその日は終了。
 はたして翌日、母親からあれだけ困難だった排便が正常に復したと連絡があった。この時に、まもなく出口が見つかることを母親に伝えた。下痢から便秘に変化したことで、生気の弱りが回復していると判断したからだ。

 学校での出来事。その時本人はどのように感じて、どのように思ったか。それがそのまま身体に現れているにすぎなかった。誰にでも普通にあることだ。

 母親が、それらのことをよく理解してくれたことが、一番の解決の近道でもあり、力でもあった。
 そして本人も、通院を重ねるうち、本当に深く信頼のまなざしを向けてくれるようになっていた。治療者の僕も、本当に心強かった。

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 現代医学は、すぐれたところがたくさんあることも事実です。しかし身体を細胞レベル、免疫レベルで詳細に調べるが、その人を取り巻く環境によってその人がどのように感じ、どのような気持ちになるのか、そして直接身体に触れて伝わってくるものを見る目が無いから難しくなるんです。こういったことは、検査や数字には出来ないのです。

 人間を一切の関係性から切り取って、さらに細かく異常を見つけて行き、数字で判断される。患者も家族も、その世界に引き込まれてしまう。

 病は、人間が生きている現実の中で、何を感じ、何を思い、何を食べ、どんな人とかかわって、どんな家族があって・・・そのような関係性の中で生じて来るものだ。

 病の解決は、顕微鏡下ではなく、生きている人間理解の中にこそあるんです。

 起きている本当の理由をそのままにして、病の背景を診ずして、現象だけを抑えようとするから難病になってしまうのだ。

 この点を、ぜひ皆さまご理解下さい。

 これは癌であろうがリュウマチであろうが同じです。喘息などで、出口の無い長期のステロイド投与しか手段が無かったのが、一見病気とは無関係に見える生活上の問題を解決したことで治ってしまうことは、数えきれないくらい経験しています。

 このお母様には、子供さんの症状の起伏の背景をその都度お話してきたので、次第に理解をして下さっていたのですが、問題は廃薬の時期。

 昨年末に、子供さんの身体の状況と、取り巻く環境とを考慮して、廃薬の時期は年明けと僕が予測していることを告げていました。

 お身内からは、こんな難病がそんな心理的なもので発病するはずがない、廃薬は危険だ。

 大学病院では、投薬を中断して再度症状が現れた場合、今までの新薬が効かなくなることが多い・・・等々。

 散々脅され、揺さぶられて、本人と母親がとった選択は、大学病院の治療を中断することでした。

 治療者の僕も、腹をくくりました。 廃薬後2カ月を経過したのち、症状は完全に治まり再発の恐れもないと判断して昨日、治癒を告げました。

 何度も繰り返します。

 起きる現象には、必ず原因があります。病気も同じです。その目を、どこに向けるかなのです。

 人の身体を木に例えるのならば、1本の木は詳しく見るが、森や山全体との関係を見るような視点が無いから、難病になってしまうのです。

 そのようなことに目を向けず、病気となっている現象だけを、治めようとするから、難病になってしまうのです。

 このようにして、出口の無い不安と苦痛を伴った治療が延々と行われるのです。


  発病の時期に、人生上の大きな出来事は無かったかどうか。

  生活そのものが、大きく変わるような出来事が無かったかどうか。

  自分を取り巻く人と人との関係性に変化が無かったかどうか。

  自分の信念が変わったり、大きく情動が揺さぶられるようなことが無かったかどうか。

  問題解決の糸口は、このようなところにあることが多いのです。

  お困りになられておられる方々に、よい切っ掛けになりますように。

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2013年11月15日

人間は霊的存在

 身体を総合的に捉えようとする動きが、西洋医学にも起きている。

 心身二元論の反省からなのだろうが、精神医学といっても所詮は薬物投与=物質で解決しようとしているので、やはり二元論の枠からは出ることが出来ないようだ。

 大体からして、生命の本質がなんであるかを明らかにしないまま、中枢を「脳」にあるとしていること自体が誤りである。

西洋医学批判が目的ではないので、このあたりにしておくが、では、東洋医学では身体をどのように捉えているのだろうか。

身体は、意識と無意識を含む霊的な「気」が、物質という形で表現されたものであると捉える。

この身体を形作っている「気」こそが、生命の本質である。

鍼灸医学では、「神気」と呼ぶ。

この意識と無意識を含む霊的なものが身体を動かし眠らせ、食事をし、会話をする。


 病気とは、この霊的混乱からまず生じることを覚えて欲しい。


癌であれアレルギーであれ、すべては霊的状態の反映であるということを。

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2013年11月13日

生きる意味

 「いま」、自分の目の前に見えている世界は、自分が見たいように見ている。



  「見ている」ことと、「見させられている」との違いは、ちょっとした意識の違いですが、天と地の差に匹敵するくらい、大きな違いがあります。 



 これは、自分がこの世に生れて来た目的・理由、生きることの意味にも関わるからです。



 そう、それは自ら創造することです。


創造は、自分の内なる力、内なる世界、存在感を確かなものにし、喜びを生みます。みんな、本当はそれを体験したいんです。


 みなさん、それぞれ見えている・見たい世界は異なっていても、喜びを体験したいんです、創造するという。


「見させられている」意識は、受け身なんです。



 ここは、重要なポイントです。



 「見させられている」という心の感覚は、被害者意識に繋がって行きます。


 「見させられている」という受け身は、自分で自分の力を滅ぼしていることに等しい。



  本当は、みんな自分が見たいように見ているだけなのですが・・・誰に強制されているのでもないのです。


「見させられている」という意識は、心は木の葉のように翻弄され、無力感と不安感をさらに大きく育てます。


  このような状態の人にとって、教祖や医療、恋人などの救いの手は、神様に映ります。


 幻想なのですが、そのような関わりからもたらされる安心は、一時のものであり、そればかりかさらに大きな不安と混乱を招きます。



 「救ってください。」と、藁にもすがるような気持ち。 だれだって、そんな気持ちになる時はあります。


 そんな時に限って差しだされる救いの手には、特別な注意が必要。



 人の弱みに付け込む絶好のチャンス。宗教、金融、医療・・・


 食いものにされるか、依存症という中毒に陥るか。



 不安を煽り、依存させることで成り立っている現代の医療。その最たるものが健康診断。


 自分の身体なのですから、まずは自分が信じられるような意識で生活しましょうよ。


  よしんば、病気になったとしても、それでも悔いが無いって言いきれるくらいに。



  小さな子供が転んで手を貸すことは大切。安心と信頼が生まれます。


  でも、起き上がる力がある子供に簡単に手を出すと、子供から力を奪うことになりませんか。



  
病気で苦しんでおられる方は、今受けている治療で安心と信頼を見つけてください。


  医療と関わって、不安になる方は勇気を持って、自分の力を信じて離れた方がよろしいですよ。



 治療者は、導いてあげるだけで、良いんですよ。


  治療者は、見極めが大事。



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2013年11月12日

自分を明け渡すな。

 自分の考えや感覚を信じないで、人の考えや感覚を信じる。

 病気になると、自分の感覚より数字やCTMRの画像を見て納得する。

 自分が今の状態になったことを、ちょっと振り返ればいいものを。

 自分を捨てて、人の教えに従うと、自分を見失って不安がやって来る。

 病気は治してもらうより、自分で治す気持ちが大切。

 そもそも、自分で自分のことが分からなくなったからこそ、医療機関を訪れたはず。


 今の状態と、ここに至るまでの経緯を生活実感を伴って説くのが、本当の医療人。

  病気の本当の原因は、生活の中で何を食べ、どんな気持ちで、どのようなことを望んで活きているかにある。

 数字や写真を簡単に信じちゃあ、ダメ。そんなものは、あなたのホンの断片的な一面を示しているにすぎない。

 移り変わる瞬間のデーターより、あなたの歴史が大事なんですよ。


 簡単に、自分を明け渡してはいけませんよ。

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2013年05月18日

病の背景(11) ★手本は自然★

 日本では、各地方に郷土料理が存在します。

 その土地特有の気候に適った食材を、最も美味しくしかも身体にも良いように、数えきれないご先祖の知恵と体験に培われたのが郷土料理=伝統料理です。

 世界を見渡すと、炎暑の地域では体を涼しくする果物。


 乾燥する地域では体を潤す牛乳・チーズなどの乳製品。

 寒い地域では体を温める肉類などの料理が、それぞれ気候風土と密接に関わる形で今も存在しています。

 明治以後、西洋列強に対抗するための富国強兵政策がとられ中央から欧米化が進められました。

 それでもまだこの国の伝統の基軸は残っていました。

 一変したのは、今次大戦後。


 アメリカから大量の物資が流入してきたのと同時に、本格的な文化の崩壊が始まりました。

 人々の価値観も食生活も住居も服装も、あらゆる分野でそれは始まりました。

 戦争に負けるということは、本当に恐ろしいことだと思います。

とりわけ各家庭の食卓は、昭和30年代に入ってから一変しました。カレーライスに牛乳・チーズ。インスタントラーメン、スナック菓子の登場もこの頃です。

 同時に、肝炎の増加、成人病という言葉が使われ始め、雨の前後に子供の様子がなんとなくおかしいと言われ始めたのもこの頃と同時期だと言われています。



当時に比べて、医学が発達して誰でもが安価に医療を受けることができ、しかも上下水道の完備などによって社会的衛生状態も飛躍的に向上し、かつての感染症は撲滅したかに思えました。

 が、ここに至って結核の集団感染、O157、インフルエンザなどが流行しています。

 そして国民の健康状態は、悪化の一途をたどり、医療保険料の支払い負担が国にも国民にも重い負担となっているこの現状。

さらに花粉症やアトピーなどのアレルギー疾患はもはや国民病と呼ぶにふさわしい状態、癌は誰が罹っても不思議とは感じないほど当たり前の病気になっています。



何かがおかしい・・・と感じませんでしょうか。

 病の背景には、気候風土を無視した伝統文化の崩壊が挙げられます。

それは、自然の理に反した狭い考えや生活。


 人体という小自然(ミクロコスモス)は、大自然(マクロコスモス)の大きな気の流れと不即不離です。

東洋医学には、天人合一(てんじんごういつ)思想があります。

それは、自然界も身体も同じ「気」の原理で生々流転していると説いています。

 本来あるべき生活スタイルは、どこに求めればいいのでしょうか。

やはり、伝統という歴史に学び正していくことが大切だと考えます。



そして、本来の自分自身の自然性を探してみようではありませんか。


 健康に生きる秘訣は、そんなところにあります。

手本は、大自然です!

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          散歩の道端で
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2013年05月12日

病の背景(10)★とらわれ★

 人は何かの目的や結果を期待して行動します。

ところがあまりに結果ばかりに目が囚われてしまうと、疲弊してしまうことがあります。

自分で自分にプレッシャーをかけ過ぎてしまうんですね。



 一生懸命に努力して、事が達成できるかどうかは、実は自分以外の要因で決まってしまうことが多い。

 たとえば、有名歌手。ほんの一握りの人しか望みは叶いません。


 ある人が、一生懸命に努力して有名になることが出来たとします。


 はたして、本人の努力だけで実ったのでしょうか?


 もちろん、本人の意思と努力が大きな要因ですが、ご縁であったりタイミングが良かったりなど、本人以外の要因が大きく関与します。


 それを端的に表現したのが、『お陰さまで』と言う言葉です。



 同じように、努力したにも関わらず、自分以外の要因で事が成らないこともあります。

 これもまた、『お陰さま』です。

 どちらも、人知を超えた大きな「おはからい」があるように思えます。



 事が成らなければ、自分の努力が足りないと思い込み、ただがむしゃらに取り組んで疲れてしまったり、動けなくなってしまったり。さては自己嫌悪に陥ったり、自分や周囲を恨んでみたり・・・

結果、心身が疲弊してしまい、数々の病気になるケースを多く見受けます。



受験、恋愛、事業・・・



このような意識・無意識の状態が、病の背景として大きく関わることも多いのです。

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2013年04月27日

病の背景(8) ★本当に欲しい物★

  先日、保育所に通う幼い子供を持つお母さんから、最近特に思い当たることが無いのに子供の体調が悪いとのご相談。

 お母さん自身も、子供と接している時に症状が悪化するという。


 色々と尋ねると、おもちゃを買って欲しい・あれが食べたいというので、買い与えても遊ばない・食べないという。


 これです。子供が本当に欲しいものは、お母さんの注意。意識をもっと自分に向けて欲しいという子供からのサイン。

 お母さんが忙しくって、気持ちにも体的にも疲れて来た時に限って子供からこんなサインが出る。

 お母さんにとっては、ダブルで堪える。

 母親って、体力勝負。本当に大変だなってつくづく思う。

 さらにこの子、とても聞き分けの良い子だという。

 お母さんの事情をちゃんと理解して、駄々をこねないんだそうです。

 さびしさや、我慢が限度に達すると、怒りやあきらめになってしまうことがあります。

 皮膚病や喘息といった病には、大抵こういった類の怒りが背景になっていることが多い。

 あきらめになると、顔から表情が次第に消えてきます。

 

 このお母さん、まずはご自身のために治療に来られています。


 人縁・地縁から切り離されて核家族化した都市生活者。


 とりわけ子育て中のお母さんには、サポートが必要だなと思う。

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2013年04月14日

 病の背景(3)★1日の中にも1年がある★

 春夏秋冬の気の変化は、朝・昼・夕・夜にも当てはまる。

 朝はゆっくりと動き始め、昼は活発。夕方からはテンションを次第に落とし、夜は動きを止めて安静にして休む。

 これが自然界の理、法則です。絶対不変。皆さまの一日を振り返ってみてください。


 昼は活動・緊張・解放。 夜は安静・弛緩・守り。 こんなイメージです。

 朝、ゆっくりと動き始めるには、夜気持ちを落ち着けて早い目に寝て早起きすること。

 夜が遅いと言っても、せめて自然界の陰気が最も深まる12時までには就寝する。


 たったこれだけの事でも、現代人には難しかったりする。


 仕事、テレビ、パソコン・・・

 夜の時間の延長は、じわりと心身に影響する。

 睡眠時間の不足は、知らず知らずの間に人をイライラ、興奮気味にさせる。

 イライラは、本人だけではなく、周囲にも悪影響を与える。

 であれば、少しの事でも出来ることから始めましょう。

 1.家に帰ったら、パブリックな自分からプライベートな自分に気持ちを切り替える。

 2.夜遅くに飲食をしない。とりわけ就寝直前の冷たいものを止める。



 3.心を忙しくさせるような、テレビ、パソコンをひかえる。

 4.明日の事を今考えて煩わない。


  等々、夜は冬の季節をイメージしてそれぞれの日常生活に取り入れてください。

 少しずつ、何かが変わってきます。

 「早寝・早起きは三文の得(徳)」ということわざがありますが、三文(わずかな)どころか積もり積もれば知らない間に大金になります。

 ちなみに得=徳と理解されているようですが、徳という文字は、真っ直ぐな心を意味します。

 早起きすると、心が真っ直ぐになる−心の鏡に、当たり前の事が当たり前に映るようになる。

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posted by いおり at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 病は気から

2013年04月08日

病の背景(2) ★自然と人間★

  前回のブログで『秋から極寒の冬にかけては、どちらかと言うと保守的。春から酷暑の夏までは解放・革新的』と書きました。

  自然界のすべての生き物は、季節の移ろい(気の変化)とリンクする。

  植物は、春は芽を出し、夏は花を咲かせ、秋には実をつけ、そして葉を落とし冬に備える。

  動物も人間も同じ。

  秋から冬にかけては、気持ちを落ち着け、体の体温(陽気)を体内に温存するのが自然の理に合った生活。

  種子が、冬の間は固く殻に閉じこもり春に芽を出すように。

 過剰な暖房は、春季の状態になるので人体の気も外・上に向かう。
 


  上に向かうとのぼせて落ち着かず、イライラする。そしてなんとなく眠りも浅くなる。


  気が外に向かうと体内の内臓の陽気が不足気味になる。

  さらにそれだけではなくて、生野菜・アイス、ジュースやビールで体内を冷やす。

 
  するとなんとなく便が柔らかいか便の出が少ないようになる。

  大きな異常は感じないまでも、排泄機能は低下している。

 そして本当の春がやって来る。 種子の中身がスカスカで芽が出ない。

 低下した排泄機能で、ため込んだ邪(本来排泄されるべきもの)が体の上半身、体の表面に出ようとしてくる。

 体調が狂ったり、病気が出てくるのは当然。

 この状態が現代人。

 花粉症・喘息(上半身)、アトピー性皮膚炎(体の表面)、精神情緒の異常(神気の異常)等々・・・

 病の原因は、生活の中にこそあります。
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              阿嘉島の空
 
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2013年04月06日

病の背景(1)

 気がつけばもう4月。サクラの見ごろも今日まででしょうか。

 
昨日、往診に行ってる道中で少し汗ばんで来ました。一週間とか1ヶ月と言った短い期間でも、変化の大きい時期です。

 当然のごとく、自然界の変化の影響を受けて、自分の気分や体調、行動も変わってきます。

 秋から極寒の冬にかけては、どちらかと言うと保守的。春から酷暑の夏までは解放・革新的。

 冬の寒さ、夏の暑さを当たり前のように受け入れるから春・秋を楽しめる。(夏がうれしい、冬が好いという人もいるでしょうが)

 このギャップと変化こそが、実は人生を豊かに彩どる。

 冬は暖房、夏はクーラー。現代人にとって、無くてはならないもの。

 だが快適さは、変化とギャップを感じなくさせる。

 夏の暑さも、冬の寒さも、本来は受け入れるしかない。

 

 夏に涼を取り、冬に暖を取る。自然な人間の営み。

 快適さは、誰もが求めること。

 だが、どっぷりと人工的な環境に浸ってしまうと、病弱になるのは当然の理。

現代病は、このような背景を持っている

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2013年03月19日

病の視点

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 このところ、シリーズで「自分で治せますよ、花粉症」をかいてきましたが、3月18日付の朝日新聞の38面に「スギ花粉 カビでさよなら」という見出しの記事を見つけた。


 花粉を作る「雄花」だけを枯らすカビの発見らしいのですが、人間の手で散布すると昆虫や植物などの生態系に影響があるので、安全性のデーターを5〜6年積み重ねてから普及を計ると記されている。

 生態系がほぼ無限の繋がりと組み合わせで出来上がっているので、安全性というのは『限られた範囲での安全性』ということに他ならないだろうことは、十分予測できます。

 無花粉スギの植樹も進められているそうだが、仮にこの地球上からスギ花粉がなくなると花粉症は無くなるのでしょうか。

 断じて「否」です。

 イネの花粉や家庭の塵など、アレルゲンになるものが恐ろしい勢いで増えています。

 かつてのように、外からやって来る、赤痢やコレラ、腸チフスなどのように強力な感染力と病毒を持っている細菌は、公衆衛生の普及によって先進国ではほとんど解決されています。

 それに取って代わるかのように、アレルギー疾患が特に先進国において顕著に増加の一途。

 もう疾病の原因を外に求める時代は終わりですよ。キリがないじゃないですか。

 病気の原因は、遺伝子や気候、アレルゲンなどの外部の要素だと捉えれば、それらの要素が変わるまで苦しむことになります。同時に被害者意識も生じやすくなりますし、自分の中にあきらめと無力感が支配することになります。

 そうなると、より一層疾病は勢いを増します。

 

 自分に起きていることは、自分の責任として捉え解決方法を探り当てると、自ら持っている大きな力に気づくことになります。

 この力こそが、人生全般における生きる力強さにも反映されます。

 障害となる外部要因を取り除いて飼育された動・植物は生命力を失い、もはや自然の中で生きていくことが困難になることは、誰でもが周知の事柄です。

 医療者側による悪者探しとその対策は、病気の背景となる患者の生活を顧みることなく消費を促します。その先に何が待っているのか・・・ここまで書けば、全てを記す必要はないと思います。

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posted by いおり at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 病は気から

2012年12月21日

病の原因

 小さな子供の問題(病気や不登校なども含めて)は、その根っこになっている原因が本人にない場合が多いんです。

 先日、4年ぶりに顔をみせてくれたSくんの場合もそうでした。お母さんとの会話から、Sくんのお父さんの信念に問題があると分かったのですが、こちら側としてはやはり躊躇するわけですよ。

 だってね、その人が一生懸命に守っている信念に触れる訳ですから。場合によっては逆鱗に触れることもありましたし、負の言葉と共に治療が中断する場合も度々あったからです。

 まして当時まだ社会経験の少ない30歳そこそこの若造が、油が乗り切って社会でバリバリ活躍している人に、あなたの信念間違ってると言うわけですから、こちら側にもやはり覚悟が必要です。

 Sくんのお父さんは、「〜するべき」で子供を厳しくしつけておられたのです。確かに必要な事ではあるのですが、行き過ぎると、反抗できない子供は息苦しくなって内面にエネルギーが鬱積して発症していたのです。

 Sくんのお父さんは、僕の話にじっと耳を傾けながら、「先生の話には、心底納得は出来ないけれど、意識して具体的に行動を変えてみます。」とおっしゃって下さったいました。

 それからです、Sくんが劇的によくなってくれたのは。このような例は、たくさんあります。



 ゼイゼイと喘いでいる子供さんやカユイカユイといってる症状を、楽にしてあげることはとても大切なことです。それ以上に重要なことは、その現象の根っこになっている部分に治療者側が気づくことが大切だと思うのです。

 小さな子供さんが、そのまま大きくなって高校生くらいになると、そもそもの原因は自分以外のとことにあったとしても、今度は自分の問題として自分が解決していかなくてはならいのです。


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2011年09月16日

終了する

 過去に精神疾患を患って入院歴のある患者さん。時に体がこわばって動かないということを主訴に受診。東洋医学では痙病(けいびょう)と言います。

 この方、幼少のある時期の記憶が全く欠落しておられました。
 
 毎週根気よく治療を続けてくださってるのですが、最近感情を伴って過去の欠落していた記憶が徐々に思い出せるようになってきました。

 つらく、苦しい記憶です。

 それにつれて、今まで以上に加速して症状は改善されて来てます。

 気の停滞がとれてきたからです。

 過去の家庭の状況を思い出すことは、ご本人にとってつらいことだと言います。

 でもご本人は、やっと受け入れる準備ができたから思い出せているんだと思う、とも話してくれます。

 当時のこの人にとっては、家庭内の状況を受け入れると何もかもが壊れてしまうと感じたのでしょう。実際に入院までされているのですから。

 一度封じ込めた記憶は、味わい尽くすことで終了します。過去のことになるのです。

 楽しいこと、つらいこと。

 交互に、時には連続してやってくる時もありますが正面から向き合って未来に目を向けたいですね。


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中秋の名月が過ぎても、日中はとにかく暑いですよね。


 
散歩コースの淀川河川敷から梅田・中津方面の写真です。


 
雑踏の中にいるのは苦手ですが、距離をとって都会を眺めるのはいいもんです。

posted by いおり at 07:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 病は気から
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