2015年09月03日

健康への願い


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 朝夕めっきりと涼しく、鈴虫の音が耳にやさしく届く季節になって参りました。


 みなさま、いかがお過ごしでしょうか。


 当ブログでは、こうすれば健康になれるとか、こういうものを食べれば健康になれるといった具体的なHow to は、ほとんど書いていません。


 なぜなら、そのようなものは存在しないからです。


 あるとすれば原則的で簡素な、ごく当たり前のことになります。


 例えば有機栽培、無農薬の自然食品。身体に良いように思えます。


 確かに、自然の風雪に耐えながら力強く育った食物には、精が満ちています。


 当然、ハウスものに比べて、風味も良いですしそのようなものを食べればおいしく感じますし、身体にも良いのは当然ですが、健康という全体性のなかのホンの一部分のことです。


 そしてその一方で毎日、怒りや嫉妬で心を焦がしたり悩んでみたり、


夜寝る時間は午前を過ぎ、


お腹が空いていないにも関わらず日常的に間食をし、


絶えず時間に追われて心と口を忙しく働かせていて、はたして健康的と言えるでしょうか。


 これでは、なんらかの病気にならないのが不思議なくらいです。


 現代は、情報と物が溢れているので、押さえるポイントとしては節制こそが必要なことです。決して、消費ではありません。


 考えてみてください。江戸時代の食べ物は全て自然食品です。それで当時の人が病気もせず、健康的に生きてきたのでしょうか。


 ちなみに、最も医療を必要とした階級は、社会的地位の高い人たちや都市部の人たちです。


 地方の庶民は、自由気ままに生きることが出来たからだと、筆者は考えています。


 健康とは、もっとトータル、総合的な状態です。


 健康をうたっている商品は、非常に多いです。


 当院の初診時にお聞きするのですが、ほとんどの方がサプリか自然食品を摂っておられます。


 物事の在り様の本質をしっかりと見極め、健康に生きたいという、誰でもが持っている願いを是非実現して頂きたい。




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posted by いおり at 06:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康とは

2015年09月04日

健康5カ条


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 朝の日差しを感じるのって、久々のような気がします。


 なんか、太陽ってありがたいよな〜、って感覚が自然に沸き起こって来ますよね。



 みなさま、おはようございます。


 さて、先日『健康の秘訣があるとすれば原則的で簡素な、ごく当たり前のことになります』と申し上げました。


 健康とは、トータル、総合的な状態』なのだということを、しっかりと押さえておいてくださいね。


 これをすれば、このようにすれば、これを飲めば食べれば、健康になれるというものではないのです。


 当 『いおり 鍼灸院』では、通院されてる方に毎月冊子  「いおり通信」をお渡ししています。


 毎号の冒頭に必ず掲げているのが以下の「健康5ヶ条」


 健康5カ条

 1.穏やかで平和な心 ⇔ ささくれ立つ心

 2.四季に適った生活 ⇔ 季節感の喪失

 3.清潔で整った服装・飲食・言葉・呼吸 ⇔ 服装・飲食・言葉・呼吸の乱れ

 4.早寝早起き ⇔ 夜更かし

 5.そして健康を忘れる ⇔ いつも健康のためにと気にかける



どうでしょう、簡単なことのようで、難しい健康5カ条』


 物事の真理は、ごく簡単でシンプルなことにあります。


 病気も健康状態も、同じです。


 この基本的な真理を無視して、何事も成り立ちません。


 重力は目に見えず、普段意識して感じることは無くても、真理・法則として私たちが生きていくために働いている力です。


 『健康5カ条』は、この事と同じです。


 毎日毎日、一瞬一瞬の心の状態や生活の在り様が、身体の状態に現れます。


 常に自分と共に、在ることの大切さ。


 今、自分がどのような呼吸をしているか。


 そのことに気づくだけでも、健康状態のみならず、生き方が大きく変わるきっかけになります。


 ぜひ心がけてみてください。


 結果すぐに世界が大きく変わって見える・・・ようなことはありません。


 しかし少しずつでも、確実に望む変化が訪れます。


 毎日毎日あきらめず根気よく積み上げて、自分が実現したい人生をしっかりと歩みましょうね。


 では本日も、気持ちよく過ごしましょう!




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posted by いおり at 07:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康とは

2015年09月05日

秋―過食と眠気

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 夏の終わりを実感する今日この頃ですね。


 このところ、食欲が進んで・・・とおっしゃる方がチラホラ。


 中には、食欲の秋ならぬ、過食の秋になっておられる方も。


 朝夕、めっきりと涼しくなってきましたが、夜寝ると自分自身の身体の中が熱いとおっしゃる方も。


 この季節、体表の毛穴がすでに閉じる傾向にありますので、夏季ほど体熱を放出しなくなってることが原因ですね。つまり、もうあまり汗をかかなくなっているということです。


 反面、体内に熱が集まってきます。


 いよいよ秋=収斂、なにごとも引き締まってくる季節です。


冷えは抑制、熱は亢進の性質を持っているので、食欲は亢進して来るべき冬に備えて身を肥やすのですね。


 自然の摂理って、うまくできているなと、改めて感心させられます。



 ところが、夏であっても、ストレスで発散することが出来ないで体内の熱が盛んであったり、夏に肉・油ものなどの熱性の食べ物を食べすぎているとどうなるでしょう。


あたかも風船が膨らみすぎたかのようになり、熱が出口を探してドッと押し寄せて渋滞を起こすようになります。


これが例えば喘息であったり、アトピーであったりと、この季節に発病する病の主なメカニズムとなることが多いのです。


ここまでひどくなくても、胸元で渋滞を起こしますと、気が頭部にまで昇らないので、睡眠時間は足りているのにすっきりと目覚めることが出来ないだけでなく、終日なんとなく眠い・・・といった自覚症状が起きます。


 このような方に深呼吸してもらうと、もれなく息がしにくい・息が入りづらいとおっしゃいます。


 筆者が腹部に触れますと、やはりいつもより膨満しておられます。


 治療は、当然体内の余分な熱を逃がすように導いていくのですが、肝心なのは養生です。



 まず、過度に気が引き締まるような心の使い方をしないこと。これは、時間に追われる状況も含まれます。


 次いで、過剰に陽気(熱)を多く生み出すにんにく・にら、油脂のものを多くとらない。


また洋菓子や中華・欧米食なども同じです。



秋はやはり日本の秋の、旬のものを頂きたいですね。


最近は、「こってり」系の食べ物に人気があるようですが、やはり気候・風土に適した日本食がよろしいですね。


読書の秋、運動の秋、食欲の秋と、秋は過ごしやすく何事もはかどる時期です。


みなさま、どのような秋にされるのでしょうか。



『過ぎたるはなお及ばざるが如し』


やりすぎは、足りないことと同じくらいよろしくないとの故事ですが、自然界のテンションは下がってきています。


人もまたこれに順ずるのが、自然に適うことであると古典では説いています。


まことに、その通りと実感してます。


今日は週末。


みなさま、ゆっくりと秋を感じながらお過ごしください。




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posted by いおり at 05:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 四季の過ごし方

2015年09月09日

あらゆる病の原因としての『感情の抑圧』について・・・稲垣順也 副院長

あらゆる病の原因としての『感情の抑圧』について・・・稲垣順也 副院長


 万病の原因の一つとして「感情の抑圧」というものが挙げられます。「感情の抑圧」は、それにふさわしい身体状態を取ることで実現されます。



 人間のすべての活動は、肉体を通して行われるからです。



 「抑圧している体」は、一つには、疲れやすさを生みます。



 サイドブレーキを引きながら生きていくようなものだからです。燃費は悪くなりますし、壊れやすい部品も出てくることでしょう。


 他方、「抑圧している体」が抑圧するのは感情だけではありません。



 心理学者のフロイトが求めたほどに抑圧の正体を明確化できていれば別だと思いますが、人が持つ優しさや弱さなどに基づくもめ事をうやむやにしたがる姿勢が、感情と共に違う物の流れも抑圧していきます。



抑圧が体液の排泄失調に及ぶことで、例えばチックなどが、抑圧が体温の放散失調にも及ぶことで例えば出血などが、抑圧が月経の排出失調にも及ぶことで婦人科疾患はもちろん、例えば「狂」などの精神疾患が引き起こされたりする訳です。



 ここで治療されるべきものとは一体何なのでしょう。「疲れやすさ」や「壊れやすさ」や「チック」や「出血」や「女性器疾患」や「狂」などでしょうか。


 いや、これらが皆「感情の抑圧」から起こっているのであれば、「感情の抑圧」こそ対処されるべきもの……なのでしょうか。



 「感情の抑圧」はなぜ起こるのでしょう。



 誰だって、自分を悪くするために生きたくはないのです。



 我慢が良くないことぐらい、本能が分かっているはずです。


 それでもなお抑圧しなければならないだけの理由が、人にはそれぞれ有るということです。


 つまり、その抑圧を取り払ったとしても、その人の周囲・家族・世間・社会・国家は、今まで通り回っていくだろうか、ということです。



ここに変革を促すのは、それなりに大変なことです。



一の会・会長の金澤秀光先生がよく言われる 「人は関係性の中で病む」 というのは、この辺りのことへの指摘だと思っています。



 一の会・副会長の永松周二先生は、「国(環境)を治してこそ上医」 とよく言われます。



 一方で、「下工の仕事」 と謙遜されつつも、身体操作法などをおろそかにされることはありません。


 地に足を着けずに理屈だけを並べ立てたところで、結局は何も変わらないからですね。



 僕たち臨床家に出来ることの一つは、眼前の症状に取り組みつつも同時に、症状の原因である「感情の抑圧」の更に奥に在る事情に対し、変化のためのエネルギーを加えていくことだと思います。


 具体的には、小手先でなく、下腹から全身全霊で鍼を扱う・患者さんを診るということです。



永松先生の言葉で今一度言い換えれば、「動作は小さく、意識は大きく」ということでもあるでしょう。



『養生講座』で練習しているあの動きを、「心」も視野に入れつつ、患者さんへのアプローチ時に活用するということです。


 文字で書くとどうしても安っぽくなってしまうのですが、この辺りのことについては、ぜひ実際に『養生講座』などで体験してみて、体験したことを各自で深めていっていただけたらと願っています。



※ 「一の会 養生講座」の模様と詳細は、こちらを参照してください。→ 「一の会 養生講座」






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posted by いおり at 07:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 健康教室

2015年09月25日

脱・薬物依存

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近くの公園で



 人間は、緊張と弛緩、充填と解放の切り替えがとても大切です。

 例をあげますと、夜の眠りは日中の心と体の使い方が現れますし、日中の活動は夜の眠りの状態を反映します。

 こんな当たり前のことが、意外と気に留められていません。

 夜眠れないと、とても苦痛に感じます。

 眠れない苦痛に焦点を当てるのではなく、眠れない夜には是非日中の出来事や自分自身に起きたことを振り返って下さい。

 何となく夜更かしをしてしまう・・・このような人もおられます。

 夜にひとりになり、やっと自分が自分で居られる開放感を、心地よく感じているのではないですか?


 過剰に人の評価を気にしたり、人間関係や仕事上のトラブルが続いたり、甘いものや油濃いものを食べ過ぎても眠れなくなることがあります。

 筆者も、眠れない夜は数えきれないほど経験しています。


 これらのことは、医療では解決できないことです。

 できるとすれば、少しの間でも身体の緊張を解き、落ち着いて問題解決の糸口を見つけるきっかけをつかみやすくすることです。

 医療にかかって、とりあえず眠れるからと頼りっぱなしになると、事態はより深刻になります。

 好き放題に食べたいだけ食べ続け、食生活を振り返ることなく胃腸薬を服用することと同じです。


 かつて学校に行くことが出来なくなった生徒が当院受診時に、心療内科でもらった薬を飲むとやたら眠くなると訴えていました。

 筆者は、恐ろしいことだと感じました。

 何が問題で苦しいのかが分からないのに、さらに追い打ちをかけるかのように問題をはぐらかすやり方。

 これでは、解決できる問題も解決するはずがありません。

 心の葛藤に直面するのは苦痛ではあるけれど、苦痛であるからこそ出口を探すのではありませんか。



 繰り返し行われる対症療法は、現実生活の中で自分自身に甘えを生じさせ、本来持っているはずの問題解決能力はどんどん失われていきます。

 医療は本来、杖になることはあっても、人の力を奪うものであってはなりません

 抗うつ剤服用患者に自殺者が多いのも、当然と言えば当然のことだと、筆者の目には映ります


 医療と関わる時には、自分の身に起きたことは自分が責任を取るのだと、しっかりと認識してください。

 仕事を続けるために、やむを得ず服薬を続けていると仰るあなた。

 どういった形かは分からないにしても、いつか必ず、清算しなければならない時期がやってくるのです。

 あなた自身が抱えている問題は、あなた以外に、誰も解決できないのですから。


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2015年09月26日

自分が蒔いた種と加持・祈祷

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花壇で 




 僕のかつての知人に、医療者でありまた僧侶として非常に霊的能力に長けた人物がいました。


 その知人がポツリとつぶやいたこと。


 「加持・祈祷は、人を堕落させるな・・・」と。


 人は、自分で蒔いた種を刈り取る時期になり、自分でどうにもならなくなり、救いを求めて頼ってくる。


 医療にやってくる人も、似たようなものです。


 問題なのは、自分が、どんな種を蒔いたのか見ようとせず、刈り取ってもらってやれやれ、で終わる人。



 その知人は良かれと思って加持・祈祷を、やってもやっても、同じ人が同じパターンでやってくることに疑問を持ったようです。


これは宗教でも医療でも、分野が異なるだけで同じことだなと思いました。


 知人にとっては、これもまた学びではあるのですが。



救いを求めて・・・ってね、聞こえはいいですが、裏を返せば自分のやらかしたことが分からなくて右往左往している状態じゃないですか。


自分のやらかしたことを、はなっから見ようとせずに、救いを自分の外にあるものに求めるから、いつまでたっても本当には救われないのですよね。


そして宗教・医療・癒し系経済にからめとられ、消費者として金銭的コストを負担しつつ、救いの安心は手に入らない。


そりゃそうでしょう、真実救いの手は、決して仏像やご神体、先生と呼ばれる外なる対象には在りません。


在るとすれば、対象に接して自分の内的体験として感じる「なにか」に在ると筆者は断言します。今現在も、よく迷う筆者の体験です。


神仏は尊い。でも救いはそこにはなく、それを感じる自分自身にあります。


自分以外のもので救われたと感じておられる方は、対象を通じて自分の心の感覚に気がつかれた方です。


難病を克服された方に接していると、やはり克服の過程で人生観そのものが変わっておられます。




 その知人に弟子として紹介した、これまた霊能力に長けた友人がいるのですが、修行が終わって後、友人は悟るところがあって普通(?)に暮らしています。


 加持・祈祷って、高い能力があればあるほど命がけらしいです。恐ろしいですね〜、人のためにそこまでやるなんてね。


 こんなこと言ってる筆者も、同じ種を蒔くのなら幸せの種を蒔きたいと思いつつ、知らず知らずの間に思いもよらぬものを育ててしまい、自分の手に負えなくなることがあります。


 厳しくとも、筆者がどのような種を蒔いたのかを、目の前に突き付け、刈り取る手伝いをしてくれる友人は、煙たくもあり、ありがたくもあります。時々、共感もしてくれますが・・・


 なんか、筆者の懺悔のようになってしまいましたね。


 で、今度は筆者が友人に、懺悔を促し六根清浄の鍼を施すのですが・・・これが効く効く、自分の腕が上がったのかと勘違いするくらいに。


 相手がちゃんと、受け取る準備が出来ているからです。


 ってね、あやしいと感じられるかも知れませんが、鍼術の根源は道教ですから。



筆者自身、人を救うなんてとてもとても・・・できないと自覚しています。当たり前ですが。


お釈迦さまでさえ、「クモの糸」のカンダタに救いの手を差し伸べられたが、助けることはできなかったではありませんか。


 できるとすれば、やはり杖くらいですかね、時々・・・いや結構、頻繁に折れそうになりますが・・・




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posted by いおり at 07:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 診察室の窓
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