2014年06月02日

この時期の過ごし方

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いよいよ夏の到来を思わせる、この陽気。

この時期、少し汗をかくとよろしいです。

ちょっとした、デトックスになります。


その際、気をつけたいのが水分の摂りすぎ。

さらに、冷たいものは梅雨が終わってからと、心がけてください。


汗は、体液に陽気が加わったもの。

水分の摂り過ぎは、陽気を傷つけます。


水分は、意識的に摂るよりも、身体の欲求に従って少し控えめに摂るのがコツです。


その際、大便の状態を観察してください。

大便が軟らかい〜大便の終わりが軟らかい、

というバリエーションがありますが、総じて軟らかくなります。

そして、排便後がすっきりとしない、満足感がないなどの感覚が現れると、

いよいよ要注意です。


この時期は、適度に発汗して木陰で休むと、

大変涼しく、心地好く感じる時期です。


 陰気である湿気が満ちる梅雨を調子よく過ごすには、

今から人体の陽気を傷つけないことが肝要です。

みなさま、うまく快適にお過ごしください。


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2014年06月03日

未病を治す

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人は、五感を通じて環境から、様々な影響を受けます。

 心の快・不快の変化に気がつく人は多いのですが、身体の変化に気づく人は非常に少ない。

 現代医学の影響か、心と身体は、すっかり切り離されてしまっています。

 今に始まったことではないのですが、自分の身体に起きていることが一体何なのか分からない。

 その最たる状態が、病気です。

 みなさま、精神的なことで体調不良や重篤な病気が起きることを、少々軽く考えておられる。

 それは『気のせい』という言葉にも表れている。


   患者「肩が痛くて上がらないんです。」

   治療者「最近、身の回りで変わったことがありませんでしたか?」・・・

        「精神的にイライラすることが続いたことが、原因ですね」

   患者「それって、気のせい?ってことですか」

 といった具合。



 東洋医学の『心身一如』の視点から見れば、

あらゆる病気は、心の状態と切り離して観ることは出来ない。


 我々の仕事は、病苦を取り去るというだけに納まりません。

 身体からのメッセージを読み取り、患者に伝えるという大切な役割があります。


 それはとりもなおさず、本来一体であった、自分の心と体の関係を取り戻すことでもあります。


病気は、不幸な面だけではありません。

 病気や不調の状態から、人生を豊かに生きるメッセージを汲み出すことが可能です。


 自分で自分のことを知る。

 なかなか難しいことではありますが、健康に生きたいと願うのでしたら、

避けて通ることは出来ないのです。


 東洋医学の未病治の考え、つまり未だ病にならざるを治すとは、このようなことを言うのです。


 病んでいる臓器を取り去ればよい・・・

 癌は切り取ってしまえばよい・・・

 やむを得ないときもありますが、取り去って『良し』とする。


 それだけで、本当に良いのでしょうか。

切り取ってなお、不安な毎日を送っておられる方、たくさんおられますよ。

病の本質が、自分の視野でとらえられていないからです。


よくお考えくだされば、幸いです。


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2014年06月04日

大らかに

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 先日、学校の授業で、大抵の病気に共通して見られる『気滞』について講義したのですが、

その一部をお話ししたいと思います。


 人によって、何が『気滞』なってしまうのかは、難しい問題なのですが、

現代人の観念になってしまっている『性』に対するタブーが、

『気滞』を起こすひとつの大きな原因になっていることを話した。


 『性』がタブーであるから、『性』は商品として売ることができるのである。


 『性』タブーになってしまったのは、いつからなのだろうと想像してみるが、

おそらく権力に伴う、駆け引き・損得が生じた頃からだろうと思う。


 貴族や武士階級が現れた頃に、婚姻が政治的に利用されてきたことは、

皆様ご存知のことだと思います。


 権力者とその子供との関係は、絶対的に確実なものでなければならない必然性が、

ここに生じたのであろうと思う。


 そして、『性』は、このような立場の人から次第に大らかさが失われ、

『性』は、道具や手段として、管理されるものになっていったのである。


 管理された『性』は、『気滞』を生じる。


この『気滞』が、妊娠を妨げ、「お世継ぎ」の必要性から側室が生まれたのである。


 一方農漁村においては、『よばい』という風習が明治初期まで全国的に存在した。


 農漁村の共同体の中での男女は、複数の相手と関係を持つことが堂々と行われていたようであった。

ただし、地方によって、その掟は異なっていたようであるが。


複数の男性と関係を持った女性が妊娠した場合、父親が誰であるかを決める権利は、

女性側にあったと言う。


男性は、それを拒むことが出来ないというのが、半ば当然の了解であった。


 生まれた子供は、村という共同体の中で育てられるので、さほど問題は無かったようである。



 翻って、現代人の我々の感覚から見れば、なんと淫乱でルーズなことかと思われるが、

我々の住む社会の現状を見ると、歪みに歪み切った性犯罪は深刻化し

、電車の中での痴漢行為は日常化し、裸体は書店やネットで簡単に手に入るご時世である。


 どちらが淫乱、ルーズであるか。


本来、人間としての自然な営みが、商品として売り買いされる現代

異常さと深刻度は、むしろ現代にあるのではないかと思える。


 このような世相にあって何事も、法的に抑え込もうと厳罰化の流れにあるが、

人間の本能の、底知れぬ強さを知らなさすぎる。


 抑え込めば抑え込むほど、歪みは大きくなって、

とんでもなく大きな力が衝動的に人を動かしてしまうのである。


 『性』が商品として全国的に拡がったのは、

法的に『よばい』風習を禁じる流れが広がった、明治からだと言われている。


 ここでは、『性』を取り上げて書いているが、『感情』も同様のことが言える。


 現代人は、大人も子供も表面的にはきれいになった。

 声や感情を荒げて、人と人とがぶつかり合うようなことも無くなった。


 争うことなく、おとなしくゲームの順番を待つ、お利口さんな子供も多いと聞く。

 だからと言って、感情が無くなったのではない。


 深くその人の無意識領域に『気滞』となって蓄積され、

癌やアレルギー疾患をはじめとする様々な肉体的病気や精神病、

ひいては深刻で凶悪な犯罪などを生み出しているのだ。


 このような状況に対して、どのような処方箋が有効であるのか。


 なかなか簡単ではないが・・・


 各人が、大らかさを取り戻すこと。


 小さくても、こういった自分の足元から始めるのが好い。


 僕の師匠は、『天才バカボンのパパ』 なのだ。


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2014年06月05日

問題の根は、どこにあるのか

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眠れない・・・病院に行くと、睡眠薬がいとも簡単に処方される。

眠れないのが問題の焦点ではなく、眠れないほど混乱して、何が自分の心身にとって問題な

のかが、本当の問題なのだ。


 それを放置して、ただ眠ることが出来たらそれで良いと考えるから、解決すべき自分の問

題は先送りにされ、何もかもが深刻化していく。


 不安であるとか、イライラするとか、気分か落ち込むなどの気分障害は、

生きている限り、避けて通れないこと。


 問題に直面すれば、当然辛いからこそ悩みに悩んで、一時的に体調を崩してでも、必死に

なって問題解決の出口を探そうとするのじゃないですか。


 辛いのは、身体の痛みと同じ。


ある意味、正常であるからこそ感じる心身の働きです。


 これを安易に薬で解決しようとするから、自分自身も、自分を取り巻く環境も状況も、

一つ変わらず、むしろ深刻に悪化していくのだ。


 病巣を放置して、鎮痛剤を飲み続けるようなものだ。


 病名をつけられ、患者になってしまった本人の状況は、完全に固定される。


服用を続ける以外に、道は無くなるのである。


 服用していると、何とか日常生活は送れる。良くなりはしないが、悪くもならない・・・

れは、完全に錯覚です。


 意識の水面下では、確実に心身共に悪化します。


 我々の目と手の感覚は、はっきりとそれを捉えることができる。


 心がなんとなくモヤモヤするといった場合、

そんな不快な感覚から逃げようとするのではない。

むしろしっかりと感じ続けることで、モヤモヤの根っこになっている、

自分の意図に気づくことが出来るのである。


 気づくことから、問題解決への道が広がり、自分の足で歩いていくことが出来るのだ。


 ストレス発散などと言って、安易に飲食や娯楽に興じるのも、

逃避以外のなにものでもない。


 厳しいことを言うようですが、自分が自分と向き合わないで、

いったい誰があなたを理解し、問題を解決してくれるというのでしょう。


 ちなみに、百会や神門というツボが、不眠や精神の安定に効くなんて謳ってる、鍼灸師や

健康雑誌は、信用しないでください。


不眠に効くツボ、精神の安定に、腰痛に、肩こりに効く、健康維持のための・・・、

ツボの効用なんて、そのようなものは存在しません。でたらめです。


身体に触れるだけで、不眠や精神の不安定の背景まで読み取れる技量を備え、

問題の本質に目が届いてこそ、東洋医学であり、鍼灸医学です。


食生活や生活習慣・心の習慣を変えないで、自分でどんなツボにお灸したとしても、

そんなものが効果を現すはずがないのです。


そんな安易なものには、手を出さないでください。むしろ健康を害します。


 ところでみなさん、抗うつ剤の売り上げの増加と、

自殺者の急増の時期が一致しているのをご存知でしょうか。


 1997年から1998年の1年間に、自殺者が1万人も急増しています。

ちょうど1997年から今に至るまで、製薬会社の精神薬が顕著に伸び、今も増え続けています。




 薬理的に自殺に追いやられるのか、それとも意識の水面下が自殺に追いやるのかは、

わかりません。


 ただ、私が日常の臨床現場で感じることは、服用を続けていて、

なんとか生活はできているが、にっちもさっちにもいかなくなって、

追い詰められている人が多い。


しかも恐ろしいことに、自分が追い詰められている自覚に乏しい。


 これね、婦人科などで出されるホルモン剤も、同じですよ。

 更年期障害なんて、患者の目を塞ぐための病名ですよ。

 女を楽しんで(女性としてじゃ、ないですよ)生きて来たかどうかが、

深くかかわるのです。


50歳近くになると、更年期障害になるのではないかと、予期不安に駆られるのは、

医療が作り出した幻想です。


幻にみんな、おびえているのですよ。


 婦人科疾患については、いずれ書きます


 たくさん書いて来ましたが、精神薬には安易に手を出さない。


 精神科や心療内科で出される薬によっては、気分障害は治癒しない。

 
 一度服用しはじめると、なかなか離脱できない。


 麻薬は、心身ともに滅び社会悪だと誰もが認識しているが、


精神薬は治療という名の下で行われるので、危機感を持ちにくい。


 これらの点を、よく認識して頂けたらと思います。


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2014年06月07日

魂(こん)の働き

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 『相』という漢字の語源を調べていて、今更ながら再確認したこと。


 『相』は、木を目で「みる」の意味。盛んにおい茂った木の姿を見ることは、樹木の盛んな生命力を、それを見る者に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので、「たすける」の意味となる。

 たすけるというのは、樹木の生命力と人の生命力との間に、関係が生まれたことであるから、「たがいにする、たがいに、あい」の意味になる。

 見ることは、人の生命力を盛んにするという、魂振(たまふ)りの力があると考えられたのである。

                                            <常用字解 白川静>



 なにも見るに限ったことではない。臭いや音、肌の感覚すべては、意識だけでなく無意識領域にまで影響が及び、身体にも現れる。

 それは、好い臭いを嗅ぐと、勝手にツバキが出てお腹が鳴るという現象などに、如実に現れている。



 東洋医学では、『魄(はく)』を通じて、『魂(こん)』に影響したと認識する。


 魂振(たまふ)りの力というのは、おそらく無意識領域の力を言うのだろう。


 五感を通じて心身に大きな影響を与えるのだから、これを上手に使わない手はない。


 樹木に限らず、海・川・山、花や美しいと感じる美術品にたくさん触れるのが好い。



 僕は元々、田舎育ちのせいであるからかもしれないが、自然に触れると生き返ったかのような感じがする。


 自然と言っても、世間の話題になっているところが好いとは限らない。


 むしろたくさんの人が訪れる人気の場所は、大抵人の気で汚れていることが多い。

 しかも自然といっても、悪気の集まっているところもあるので、どこまで行っても自分の感性を信じて、自分が気持ち良いと感じるところを見つけるのがベストです。


 日常においては、身の回りは小奇麗にして、壊れたものや傷んだもの、汚れたものを周囲におかないことも、大切なことです。



 日常には、慣れということがあるので、不快を不快と感じなくさせてしまう。

 これは、意外と曲者です。

 マンネリというのは、惰性以外のなにものでもありません。



 またテレビは、特に影響が強いので、家事をしながらなんとなくスイッチを入れておくのは、止めた方が宜しいです。

 さらにテレビは、広告媒体という認識が絶対的に必要です。僕はほとんど見ません。



 また悲惨な事件のニュース映像や写真などは、できるだけ触れない方が好い。

 これは、意識している以上に影響を受けます。


 そのような悲惨なものに触れた時、自分の呼吸や身体の感覚がどのようになっているか、観察してみてください。

 心身の中枢は、この無意識によって維持されています。


 身近なところでは、暑ければ毛穴を開いて汗を出し、寒ければ毛穴を閉じて身を守る、自動的な働きなどがそれである。


 たとえ一瞬でも、「怖い」と感じれば、無意識に息を止めたり殺したりし、脈の打ち方や体の表面の緊張として表現するのが、身体というものです。


 我々の医学の術を以て身体を診れば、無意識の状態までとらえることができます。


 臨床現場でも、「こんなこと、なかったですか?」と聞いて、しばらくしてやっとご本人が気づくことが多々あります。

 現代人は、自分の身体感覚がとてつもなく鈍っています。


 そんなことにかまっておれないほど、仕事や日常生活、そしてスマホやパソコン、テレビなどの情報に忙しく接しているからだと考えています。


気が、外にばかり向いている。


 病気になることで利益がある人は除いて、一般的には誰しもが、望まない病になってしまうのは、身体感覚を失ったことが大きい。


 それにに加えて、

 どのような状況に身を置いているのか、

 どのようなものに触れているのか、

 これらののことに、無頓着であるからだともいえる。



 現代病は、これら心の在り様、無意識の在り様に起因して発症する病が多い。


 時間に追われている現代人こそ、1日の内に呼吸法や瞑想法などを行う時間を持ちたいものです。


 自分自身と向き合い、「こころ」と「からだ」の感覚を取り戻す。


 ほんと、大切なことです。

 日常の診療の中で、そんなことを強く感じます。


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2014年06月11日

問題の焦点

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このところ、相変わらず気分障害を伴って、眠れないと訴える人、多いです。

 眠れないので、体がだるく仕事にも意欲が持てず、精神的に追いつめられると訴える。

 心療内科で処方された睡眠導入剤も全く効かず、この度てんかん薬を処方されたが、

これも全く効果が無いとも訴える。

 眠れないのが問題の焦点では無い。

 眠れなくなる以前に、涙も出ないほど精神的に追いつめられた過去の出来事があった。

 その時に自分の中に生じた感情。この感情が解放されず、

心のしこりとなって体内に蓄積されていることが問題の焦点なのだ。


 感情には、意図が必ず存在する。


感情という「気」が鬱積して限度を超えると、自分の意図。つまり本当の気持ちさえ分からなくなる。

 1本の鍼は、この鬱積してパンパンになっている河川の堤防の堰を切るような働きをする。

 そして段々と泣いたり怒ったりできるようになってくる。

すると心に余裕ができ過去の出来事を過去のこととして終わらせることができるようになってくるのだ。


 精神薬では、決してこのように根本的な問題解決はしない。


むしろ、このような自然なプロセスを妨げる。


 鍼と精神薬は、働きが正反対である。


 心に葛藤があると、手首の脈の打ち方は一般的には、硬くなる。

 しかし、てんかん薬を服用した方の脈は、葛藤があるにもかかわらず、

むしろ不自然に軟らかく弱くなる。


 感情は、生きている証ともいえるエネルギッシュな「気」である。

 精神薬は、見事なまでにこれを体内深くに押し込める。


 眠れないことによって生じる様々な苦痛は、過去の出来事に対する苦痛なのだ。

 眠れない苦痛を問題にするのではなく、過去の出来事が自分の中で未解決なことが苦痛なのである。


 問題の焦点を、見誤ってはいけない。


 何度も同じことを書きますが、精神薬ではこのような問題は解決しません。


 さらに、精神薬で抑え込むことに成功してしまうと、出口の無い投薬が際限なく続く。

 そして、意を決して、精神薬を徐々に減らしたい意向を伝えると、

「悪化しますよ」と脅しのような言葉をかける医師の存在を、

臨床現場で耳にする機会が非常に多い。


患者側からしてみれば、出口を探しながらも、ただでさえ不安で混乱している状態に、

さらに追い打ちをかけられることになる。

 実際、服薬を急に中止すると、体内にこもっていた感情の「気」が、

一気に出口を求めて噴出するので、様々な症状が強く現れる。

 この事実からしても、精神薬がみかけだけの対処療法で、
本来的な問題解決には繋がらないことが分かる。

むしろ抜き差しならない状況に追い込まれる。


 服薬を中止すると、一気に症状が悪化するステロイド剤と、とてもよく似ている。


 心身の症状は、大変つらいのはよくわかります。

 問題の焦点。

問題の履き違えを起こさないように、よくご自身と向き合ってください。


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2014年06月18日

飲食の大事

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  患者さんの病気が、飲食と深く関わっている時は、そこに触れなくてはならない。

  飲食は本能と結びついているので、これに触れると、患者が嫌がり足が遠のくという治療家を耳にすることがあるが、論外なことである。



 特定の飲食物をやめてもらうことは、病的状態から抜け出すには、大切なことだ。

 患者側に、受け入れる意思が全く無いのなら、これはもう不適応である。

 ただし、できなくても、意志があるなら、可能性は開かれている。

 何をどれだけ欲するかは、心の状態に大きく関係します



 紀元前に著された「黄帝内経(こうていだいけい)」という書物には、すでに『飲食の不摂生・不適切』が重要で見逃すことのできない、病因であることが記載されている。

 時代によって生活様式は様々に変化しているが、人間の『欲』に関する基本的なところは何ひとつ変わっていないことを思い知らされます。


 人類の歴史は一面、飢えに対する恐れの歴史だったという見方ができます。

 太古、人々の精神的・肉体的労力は、狩をし穀物を生産し、調理して食べることにその大半を費やしていた。

 食物に余剰ができるようになると、労働に費やす余った時間を文化形成に向けたことが、人間と動物の違いの最も大きな点である。

 芸術もまた、このような豊かさの素地の元に可能になるのである。


 このような積極的な面を持ちながらも、人間は堕落・退廃という危険性に直面することになる。

 飢えという危機に直面すると、人間はその持てる能力を遺憾なく発揮する。

 生命は、強い本能で固体を維持しようとするからだ。


 翻って現代は、飽食の時代といわれて久しい。

 この豊かさを実現する為に、どれだけの人が懸命に働いてきたことか。

 しかしその反面、生活習慣に起因する病気もまた、増加の勢いは一向に衰えない。


 「欲」の肯定・野放しと、無知。


 かつての時代は、食に対して無知でも良かった。

 自然の理に適ったものが、必要最小限しかなかったからだ。



 さらに世を挙げて健康不安を手玉にとって消費をあおり、健康のためにと、ありとあらゆるものを消費する。

 自分の身の回りをみても、見かけは普通に生活しているようでも、何らかの不調を訴えたり治療を受けている人が、あまりにも多いことに気づきませんでしょうか。

 世間でいわれている健康法や健康食品が、有効でないことが分かりそうなものですが。

 現代社会に対する、有効な処方箋は如何。

 有史以来の豊かさを享受し、健康に生きていく為に大切なものって、一体何なのでしょうか。

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2014年06月19日

病気は、責任回避

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 日常の臨床現場では、飲食の制限をすることが多々あります。

 時に、しばらく甘い物をやめる理由と必要性について理解を求めると、中には、『体が欲する』とおっしゃる方がいる。

これは大きな錯覚・錯誤である。

『心が欲している』のである。

身体の『五感』から伝えられた情報より、

心はまず、身体に入れて安全か危険かを判断して行動するからである。

身体の『五感』を、東洋医学では魄気という。

 
 
 それはさておき、甘い物は、心に緊張や葛藤が積み重なった時に欲するようになる。

 甘い物好きという方は、無自覚であっても緊張や葛藤を抱えている人に多い。


 問題の焦点は、甘い物をやめることにあるのではなく、自分の心に存在する緊張・葛藤を先ず自覚することにある。

 ほとんどの場合、この緊張・葛藤には、感情が絡んでいる。

 このようなお話をすると、すぐに自覚できる人と、自覚できない人がいる。

 自分の本当の気持ちや思いが、鬱積した感情に隠れて、自分で自分のことが分からなくなってしまっている人が、あまりにも多い。

 現代人は、感覚よりも思考が優先している人が多いからだ。

 これを七情内欝の病とも、七情の病とも称し、これもまた紀元前から東洋医学の認識範疇に存在している病因です。


 表面的には穏やかな顔をしていても、その裏にある鬱積したものに気づかないでいると、必ず身体の不調となって様々な病を生じる。

 癌やアレルギー疾患などは、その最たるものだ。

 この世から、タバコをなくしたとしても、現在急増している肺癌患者は決して減ることは無い。

 問題の本質が、そこには無いからだ。


 自分の本当の気持ちや思いに気づいた時、人は選択の決断を迫られます。


 生きて行くことは、自分の責任で様々な選択をしていくことです。

病気とは、選択の決断を回避している一面も持ち合わせています。

周囲がどのようであろうとも、選択の理由と意図の結果は、自分が責任を負う。

たとえ病になったとしても、自分が納得する生き方をするためです。

病気しないために、生きているのでは無いのですから。

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2014年06月25日

アジアの医学−ヨガと東洋医学(1)

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 今月22日に、京都坊主バーで行われました『ヨガと東洋医学』

 内容を少し公開したいと思います。

 まず最初は、長野知美女史によるインドのアーユルベーダーのお話。

 いつもながら、大変興味深く拝聴しました。

 やはり鍼灸医学の背景にある中国思想とも共通しますね。

 共にやはりアジアの医学、といった感じです。


 どういうところが共通するかと言いますと、自然の風・火・水などの自然現象に象徴される機能・作用を小宇宙である人体を観察する目に用いている点です。

 中国思想では、自然界の上部を天、下部を地。そして天地の間で様々な変化が生じる中部を人(じん)の3部に分け、人体を認識するときにも同じ目で認識します。

 これを『三才思想』と呼びまして、鍼灸医学の根幹を成す思想の一つです。


 これを人体に当てはめると、

横隔膜より上。つまり、胸郭部が天。

 横隔膜からおへそのラインが人(じん)。

 おへそのラインから下が、地に相当します。


 また、人体に現れる様々な作用・機能変化を、自然界の5つの要素、つまり木性・火性・土性・金性・水性の5つの要素にまとめ上げたものが、東洋医学の5臓の概念になるのです。 

 この5要素を用いて、系統的にまとめ上げたのが、臓象学です。


 従って、東洋医学の5臓は、『気』を根幹に据えているので、認識する為の名前と作用・機能はあっても、実在は存在しない概念なのです。


 この当たりが、よく誤解されるところです。

 西洋の解剖学を翻訳する時に、認識概念や哲学概念の異なる東洋医学用語を割り当てた事から始まったのです。

 「神経」は造語ですが、よく考えて造ったものです。

 東洋医学用語に翻訳すると神気の通路(経絡)とでもなりましょうか。

 「精神」は東洋医学用語です。本来の意味は、物質と非物質、気と血の根源的な存在、が本来の意味です。


 当日の参加者の方からは、「肺疾患」と「むくみ」についてリクエストがありました。

 現在でも肺結核の集団感染がありますし、肺がんなどは禁煙運動とは裏腹に増加の勢いは治まりません。

 また、むくみ。とりわけ女性からの訴えを聞くことが多い疾患です。

 なぜなのでしょうか。

 次回から、東洋医学の立場から少しずつ触れて参ります。

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2014年06月28日

アジアの医学−ヨガと東洋医学(2)

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 僕が、長野知美女史にヨガを習おうと思い立ったのは、単に身体を伸ばしたりポーズを覚えるといったことからではありません。

 そのようなことは枝葉の末節のさらに末節のことで、ヨガの背景にある思想を身体を通じて実感したかったからです。

 体を柔らかくするためとか、健康のためにというのは、プロセスであって目的ではない。

 さらに良い・悪いのジャッジさえ存在せず、しかも結果には囚われない。

 体が硬くても、体のどこかに違和感を感じていても好いんです、ジャッジしない。


 呼吸と共に、自分の身体を感じて一緒にいる。

 目的といえば、これだけのことです。


 インド発祥の坐禅も同じ。

 効果を期待するのではなく、ただ坐る。

 呼吸に意識を向けながら、自分の心にテロップのように流れるものを、なんのはからいもなくただ見つめる。


 現代人は、結果に期待することでしか行動しない。

 このように考え行動すれば、このような結果が得られると。

 頭を中心にして考え、行動するから、置き去りにして来た自分に気づくこともない。

 だから、漠然とした不安がいつもつきまとうのだ。

 病は、自分の心と身体でありながら、自分に何が起きているのかがわからない不安の結果ともいえる。

 自分の心の感覚。

 自分の身体の感覚。

 ヨガは、身体を使った瞑想だ。

 長野女史にヨガを習うようになって、感じたこと。

 アジアの医学は、心と体の間に、寸分の隙間も無い。


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